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salco

お煩い


 二日に一度、王子は乳母に抱かれて母上にお目通りするのだった。とこ
ろが扶育大官だけが入室し、つつがなくお育ち遊ばされている旨奏上する
のを控えで待つだけである。
 天井まで山積した国政に裁可を下し、産褥に散逸した美貌を取り戻す為
に女王は忙殺されていた。とりわけ世継ぎ誕生を寿ぐ大規模な祝宴が再来
月に予定されており、各国の大使や領事・高官を始め愛人達をも含む来
賓、国中から奉祝に参じる有象無象の前にすっかり元通りか、欲を言えば
一段と輝き亘る艶姿を準備せねばならない。
 というのが公の見解であったが、製造・出荷までの責務を果たしたから
にはもう何の障りもない筈であったのに、予想だにせぬその後の品質管理
が大きに障るものであったのだ。


 それは幾日かを寝て暮らした後、高窓からの冬日が耶悉茗まつりかの花の如く降
り注ぐなか乳香と蜂蜜を溶かした浴槽で洗い上げられ、生まれ変わったよ
うな気分で化粧の間に立った時だった。
 凝然と姿見に見入っていた女王が卒然と金の水差を取り上げ投げつけた
為に、鏡の魔力が粉々となってしまったことも障ったのであろう。背後で
寛衣を着せかけようとしていた侍女は振り上げた鈍器の直撃を顔面に受
け、姿見を支え持っていた侍女は後ろざまに跳ね飛ばされ、おのがじし鮮
血と雲母の溜まりに昏倒したのが同時というところであった。

たばかりおったな。謀りおった!」
 女王は吠えたものだ。初産が女に磨きをかけるだと?
 それは病み上がりの鏡像ではなかった。黄色く腫れ塞がった上瞼と青黒
く落ち窪んだ下瞼の間から、鈍い眼でこちらを窺っている醜女。濡れそぼ
った黒髪は艶なくそそけて蒼い地肌を頭頂に露わし、張りの失せた額には
三本の横皺が走り、小鼻から伸びた縦皺が口吻と頬を画し、頬一面には皮
下の欝血痕が無数の茶色い斑点になっている。
 突き出た鎖骨の下には爛熟のぶざまが青筋を漲らせ、どす黒く拡がった
乳暈を地面に向け仔猿が吸いつくのを待っている。恥丘の上まで垂れた腹
の皮は老婆の尻たぼさながらの襞を寄せ、肉割れ痕がのたくる蚯蚓のレリ
ーフ模様になっている。痩せ細った太腿は湾曲し、何と、その錯覚ではな
く腰幅が大きくなっていた。産で押し開かれた為に骨盤の形と、尻の位置
までもが変わってしまった。それを寛骨と股関節の鈍痛が裏書きするの
だ。
 眼前に佇立しているのは正に若さを永遠に失った肉体であり、野卑で鈍
重な、女の美質を微塵も有さぬ牝の獣だった。

「あれは何じゃ。何じゃ言うてみい。あれは余ではない。どういうことか
と訊いておる。
 言うてみい! 呪いか。呪いをかけたのか。あの猿めが余を百姓女に変
えおった! 
 ええ忘恩の逆賊め、目にもの見せてくれようぞ。王子を、王子をこれへ
引っ立てよ!」
  
 こうしてのどやかな昼下がりを手当たり次第に叩き割って回った女王が
我に返ったのは夜半、悪霊も縮み上がるほど苦い煎薬を銀の匙でこじ入れ
られた後だった。
「おお。おお。これ、早う呪いを解きやれ」
 謹粛な面持ちで侍医長が平伏した。
「畏れながら女王様。これは呪いではなきように拝察いたしますゆえ、何
卒ご安心召されますよう、伏して言上いたします。はは。  
 憚りながら、まあ何ですか、産の後には誰しもこうなるものでござりま
して。いずれは元のお姿にと」                          
「いずれとはいつぞ。早晩か。月をまたぐのか。まさか年を越すとは言う
まいの」
「は。それはしかとは申しかねますが、きっと元のお姿に」
「きっとか」
「はは。それがその、それもしかとは申されず、時と場合によりまして
は、事と次第にもよりまして。つまりその、事が事では次第次第という事
もあり。事によりますと人によりけりという事もあり。委細仔細は何とも
はや」
「誰を相手にたわけおる。お前は医者であろう、四の五の言わで治すがよ
い」


 この変貌は疾病ではないので治しようがないとも言えず、侍医長は下役
に手分けて何巻もの医書を浚わせ、また故事や伝奇の類もひもとかせて血
の道から蛇の道まで調べ上げ、動悸逆上癇癪譫妄浮腫汗疹肝斑かんしんかんぱん冷感腰痛秘
結尿閉脱毛疳瘡かんそう裂傷脱肛など、これという症状に効くと思しき薬草・乾物の一切合財をぶち込んで煎じてみた。
 こうして不眠不休の早暁、鍋底に悪夢にも似たタール状の沈殿物を作り
上げたが、いかんせん内服させる蛮勇がない。薨去など大それた薬効につ
いてはゆめ思わぬが、目をも脅かす臭気は可能性を否定し去るとも言い難
い。そこで治療方針を変更し、薬浴剤として経過を窺いつつ逐次調整して
行くことにした。

                         
「鼻をつまんで遣うておるが、浴後は妙に火照るばかり、肌艶が良うなっ
たとも覚えぬ。匂いばかりが貼りついておるような。確かに効くのであろ
うの」
「はは。畏れながら女王様、十月に対しまだ三日ばかりでは、なかなか難
しうござります。何とぞ今しばらくご寛恕下さいますれば、と」
「ふん、その口振り。確かに効くと言うておる」
 思わぬところで言質を取られてしまった侍医長は近隣諸国に危急の密使
を送り、女の道に通ずる医者を八方探させた。ところが産褥の患いに通暁
した大家はいても、産婦の女心などはそも医術の埒外であって、やれ肥っ
たの尻が垂れたの、色が悪くなったの緩んだのなぞは、女同志の愚痴で紛
らわすにしくないと返して来るばかりである。
 侍医長は大層な老体ではあれ医者知らずで、おのが長命と保身には自信
があったのだが、眠れぬ夜をうなされて目覚める内にすっかり病んでしま
った。つとめを部下に委ねて自邸に臥せり、窓外の冬枯れを打ち眺めて
は、このまま死ぬのと生首の落ちるのとどちらが早かろうなどと、そんな
殊勝なことばかり考えるのだった。


 朗報が届いたのは、いよいよ女王の憂いが大いなる怒りへと転じたその
朝。報への返書と金子を持たせた使いを送り出したところへ、召喚状を携
えた衛兵の一個小隊が迎えに来、宮中へ引っ立てられた侍医長は立ってい
る力もないので平身低頭、息も絶え絶えもつれる舌で申し開いた。みみ、
みな

 南の国に秘術を持つ者がある。それは医者でも呪術師でも祭司でもない
が、女を美しくする業を専らとしており、その技量にかけては右に出る者
がない。それを迎えに行かせてある。早馬で明日には国境を越えようか
ら、遅くとも四日後にはここへ連れて来られるのだと。
「駄法螺を吹くのも大概にせよ。そんな者の話は聞いた例も聞く気もな
い。一体命乞いには何でも並べて見せるよの。母上の代から尽くしたとて
功労に免じ、お前のような役立たずを今日まで置いてやったものを。悪心
の腐れ湯にひと月この身を浸したのもお前の、ふん、職能を信じたればこ
そ。それで何が起きたかと言えば何も起こってはおらぬ。これの他はな」

 女王みずから深紅の天鵞絨の寛衣をはだけると、いかなる薬理かそこに
は見事に腫れの治まった両の乳房があり、悪趣味な乳輪の大きさも元に還
っていた。むしろ治まったと言う以上に萎んだと言うべきで、それはまる
で生理が授乳意欲を乳房から引き揚げる際に、元来あった充実をまで根こ
そぎといった風だった。
 これは後世かの遠征軍がロゼッタ・ストーンやオベリスクをかの地から
持ち去ったのと同様、まことに痛恨の遺憾事である。おまけに何十人もの
乳母を養ってまで搾乳済の崩れた代物と同等になるのであれば、冬瓜そっ
くりの青ぶくれに苛まれる方がましというものだ。
 北風になぶらせて火照りを鎮めねばならぬほど毎晩汗をかき、懐妊中よ
り頻尿になったことで浮腫が多少は改善したにせよ、これだけ水分が出て
行ってはどんな果実も萎むはずで、今度ばかりは女王も無辜の犠牲を払わ
されたわけだった。

 犠牲をしまうと女王は言った。
「そこでじゃ。験能あらたかな薬湯を全部お前に戻してやろうとも考え
た。しかしそれでは生温かろう。お前は首を刎ねられたいか」
「ははっ。いえ畏れながら、女王様」
「そうであろうな。では赦してつかわす」
「……えへぇぇぇ!」
「明日にもみまかる老いぼれなど殺したところで何になる。のう?」
「はははっ。まことに有難き大御心、勿体なくも尊きお慈悲、何と御礼申
し上ぐればよろしいやら言葉も」
「お前は今より兵卒じゃ。さそくに練兵場へ赴き、至心の何たるかを教わ
るがよい」
「……畏れながら、今何と」
「話は済んだ。連れて行け」


                              つづく


散文(批評随筆小説等) Queeeeeen Copyright salco 2010-10-18 00:49:49
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