夏には蝉 秋には蟋蟀
板谷みきょう

繁殖期を過ぎた蝉が松の林に転がっていた。

繁華街の馴染みのライブバーで本当はテレキャスが欲しいんだけどなんてことを言いながら見た目は派手だけれども実は安物のアコギを抱えた若者が今夜のライブに精一杯の背伸びしたようなだらしない服装で沢山のピアスを片耳に付けて流行の中折れ帽を粋に被って座っていた。

「たとえ世界が終わるとしても」と音の合わないギターを掻き鳴らし出来損ないの私小説みたいな自作のラブソングを微妙な音痴で歌っている。

其処に集った恥知らずのような同じ年頃の男女が抱擁しながら潤んだ瞳で聞き惚れているかのようだ。

事実、若い時は素敵だ。
素晴らしく羨ましいと思う。

けれども本当は世界が終わる前に先に自分が終わるという現実を見ないで1フロアーの部屋で築き上げた世界を歌にして歌えるのはあと何年なんだい?

愛とか恋を歌えるのはほんの短い間のことなんだ。

何とか川の上流に辿り着いてようやく産卵を済ませボロボロの鱗に白く濁った体を川岸に浮かばせて息絶えた鮭の姿を見てきたばかりだからなんだな

顔馴染みの君たちが仲良くするのは悪い訳じゃない。あの夏の日の煩い位に鳴いていた蝉の歌をほっちゃれとなって息も絶え絶えな鮭が、懐古しながら懐疑しているだけなのだ。


自由詩 夏には蝉 秋には蟋蟀 Copyright 板谷みきょう 2010-10-13 03:12:27
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