Don't Let Me Down
ホロウ・シカエルボク
剃刀を敷き詰めた絨毯に彼女は寝っ転がって
「私の血液で刃先がだんだんと優しくなる」と
天使みたいな笑顔で笑う
それから俺にそんな顔をしないでと言う
「これで死んだりすることはないの、何度もやってるから分かってるの」
瞳の中には恍惚も狂気もなく
ただただ正気な輝きだけがある
「ノーマルの定義は人それぞれでしょ」と
彼女はよく俺に話す
「私はこうすることで要らない私を削ぎ落とすのよ」
「脱皮ってことよ、私は脱皮が出来るのよ」
「それは許されているの」
と彼女は言う
「慣れない」と俺は答える
「何度見ても慣れない、君のその姿は」
ふふ、と笑って彼女は寝返りを繰り返す
もともとは赤くて
少し肌色を足したようになってる、そんな肌
彼女の緩慢な寝返りはシロナガスクジラを連想させる
俺はキッチンで取ってきた缶ビールを飲みながら彼女に話しかける
「これまでに何枚、真っ赤な剃刀を捨てた?」
「そんなこと覚えてられるわけないじゃない」彼女はくすくす笑う
彼女は幼いころから剃刀が好きだった、初めは刃先を目のすぐそばまで持ってきてうっとりしながら眺めているだけだったが、そのうちに指先を切るようになった
「小鳥を殺したことがあるわ」
いつだったか、そんな話を聞いたことがある
「私が生まれる前から母が飼ってたジュウシマツが、代替わりしてから卵を温めなくなってね、だから」
「だけど本当は、剃刀で生き物を切るということがどういうことなのか、知りたかっただけなのよ…好奇心しかそこにはなかったわ」
子供の正義なんてたいていはそんなものよ、と
クタクタになるまで働いてきた俺は少しのビールですぐに酔ってしまう
「なんだか眠い」
眠りなさい、と彼女は言う
そうする、と俺は答える
「だけどその前にシャワーを浴びるよ」
バスルームで服を脱いでいると、彼女が俺を呼ぶ
「ここで私を抱いてくれない?」
そう言って血まみれの手を差し伸べる
俺はなんだか考えることもなくその手を取ってしまう
俺たちはまるでベッドの上であるかのように交わったが、俺は途中からわけの分からない悲しみにとらわれてぼろぼろ涙をこぼしながら放出した、「泣かないで」と彼女は言った、だけど俺はそれを止めることが出来なかった
カーペットが湿原のようになるまで彼女は血を流していたけれど、不思議なことに何の問題もないらしかった
俺も膝や手のひらに傷を受けていた、どくどくと血を流していた
彼女は無表情に俺を見ていた、涙でぐしゃぐしゃになった俺の顔を
俺は彼女の視線を避けるようにバスルームに飛び込みシャワーを浴びた、血が流れなくなるまで身体に湯を浴びせ続けた
部屋に戻ると彼女はカーペットを丸めているところだった、俺は黙ってそれを手伝った
「こんな物でも浮浪者たちにはオタカラなのよ」と彼女は言った
ふうん、と俺は言ってカーペットに染みついた彼女の血を眺めた
「だけど、こんなもんの上で浮浪者が寝てたら、たいていのやつは殺しがあったのかと思うだろうな」
俺がそう言うと彼女はくすくす笑った
「それは仕方ないわね」
俺はぼんやりした頭で微笑んだ
もう寝ましょうと彼女は言った
俺は頷いた
とにかく柔らかいシーツの上で眠りたかった
「僕を落ち込ませないでくれ」と
ジョン・レノンが歌っていた