Queeen
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 この鬱蒼たる森はかつて宮殿であった。腐葉土の堆積と地下茎の絡合に阻まれて遺構とて目に立たないが、ここから真北へ直進すると、やがて行き当たる巨きな樫の根方に井戸跡がある。崩れた石積を覗き込めば中は埋もれ、散り積もった去年(こぞ)の枯葉がたまさか風にかそけくばかり。
 この井戸には往時、幼い姫君が難を逃れたとの由来がある。水涸れた底に娘を隠す時、王は百舌の約束を交した。姫は枯葉の下で暗黒神と白昼の悪鬼に怯え、震えながら父上を待ったという。


 愛くるしい姫君はやがて美しい女王となった。
 世にも優れたその美貌は魔の如く男達の夢を縛り上げ、冷たく見開かれ
た漆黒の瞳は思考を奪い、その声の奏でる抑揚は妙なる楽の音の如く心臓
にしみわたり、月光のあやかしに似た柔肌は理性を溺れさせた。
 女王は永世の君臨を望んだ。そのため老いが忍び寄るのを許さず、四囲
に呪術の鏡を置いて常に姿を見張らせた。そして世のありとあらゆる美に
屈服を強い、人口に膾炙する余人を決して看過しなかった。

 米の白より肌の透いた巫女達の中でも、とりわけ澄んだ碧眼を持つ乙女
がいた。その虹彩は遥か霊峰の氷河を映し、神座の光輝は息苦しいほどだ
と評判であった。伝え聞いた女王はこれを捕えさせ、目玉をくり抜いて一
つは指輪にし一つを猟犬に投げ与えた。
 歓びを歌うカナリアの声を持つ娘がいた。それを聴けば羽根の生えた如
くに心が浮き立ち、憂いを離れると耳にした女王は、その舌を切らせ酢と
塩で咽喉を焼いた。
 献上品の絹糸よりも柔らかく艶やかな髪を持つ女達は、それを抜いて女
王の絨毯を織らされ、生えなくなるまで地下の工房に繋がれた。
 また貧者に施しをして深謝と讃美を集める貴婦人には死の慈悲を乞うほ
どの拷問を以て報い、四肢を切断して曠野に晒し猛禽のついばみに任せた。
 果てたのちにも男に蔑みの気を起こさせぬ不思議な技巧の遊び女は、天
賦の器をおがくずと汚穢で突き固められ、肚が腐れて緑色になるまで逆さ
に吊られた。
 こうして不遜を働いた臣民を戒めたので、国には濛昧の裡に自足する幸
福があまねく行き渡り、女王は神殿の美神として憧憬を集め、麗しい貴族
の子弟や歴戦の勇者を夜毎はべらせ、迸る熱情を身に享けては逞しい腕の
中で歌った。


 そんなわけで、飢饉が白熱の鋤を沃野に揮い数多の無産者を間引いて回
ったその年、北辺の沼沢地に棲む狢ヶ洞むじながほら大頭おおず様という隠者の託宣通り、
女王は身籠った。
 月のものが止まり、侍医長が恭しく懐妊を奏上すると津々浦々へ触れが
出され、各地の祭殿には山なす供物が捧げられて暗黒神へのとりなしに毎
夜燃やされ、宮殿には太陽神の恩恵が色様々に印された異国の珍奇な果実
が毎朝運び入れられ、大鉢の発酵乳に添えられて食卓に供された。
 悪阻の季節が過ぎて女王の尻が洋梨のように熟れ下肢も浮腫み始める
と、西方の岩山に棲む筆頭まじない師のばばあが呼ばれ、「千年のお宿り
のみ栄え」という年代記じみた祝詞を唱えながら、黒ずんだ乳輪を瞳に見
立てた目を乳房に、みぞおちから下腹にかけては巨大な女陰を、尻には同
心円の水紋、大腿から足首にかけてあざみの群生を黄楊つげのへらと鉄漿かねで描
いた。
 腹と乳房の文様は突き出して行くにつれて肥大化し、すると女王はます
ます淫らになって、昼夜となく愛人達と交わるようになった。妊婦のグロ
テスクな裸体はしばしば若者を及び腰にしたものの、その図柄は達者を煽
情して長持ちさせたので、女王は幾度も堪能した。その黒々と密生した恥
毛が瞬く間に擦り切れて、嘴と唇弁とがすっかり露出してしまったほどだ

 合間には旺盛であれかしと山羊の睾丸や馬の陰茎、猿の脳や海亀の卵な
どがふんだんにふるまわれ、女王の寝台や長椅子はおびただしい体液で湿
り気を帯び一体に夜具を乾かす暇もないので、伽羅と麝香の交互に焚きし
められる寝所にはいつしか獣じみた匂いが染み着いた。
 それでも物足らなくなる時は内務大臣に命じて巨根の奴隷や囚人を探さ
せたが、委細の検査と洗浄ならびに消毒ののち目覆いをさせ交わった後に
は不敬罪で斬首となるので、事欠く折には張形を用いて侍女に多淫の口を
塞がせなければならなかった。
 下々の民も豊饒神の降臨を祝い、この度は女王の腹に宿った満月がどん
どん膨らんで夜を照らすので、眠りを忘れて浮かれ騒ぎ、絶え間なく溢れ
て歌われている御姿をくらい頭に思い浮かべては陶然となり昼夜かまわずま
さぐり合って励んだので、老女と童女、男おんなと女おとこ以外の婦女子
がおおよそ孕んでしまったほどだ。


 それでも御子は一向に流れない。まじないばばあは淫らに薄れた文様を
描き直すたびに、今度こそお世継ぎに適ったお子様ですよ、と寿いだ。女
王の体に描いた図柄は次代の国を統べるに足る、強靭な君主を選別する為
の多淫と豊饒のまじないなのだった。
 女王自身もこのようにして誕生したのだ。子に注がれる母性の象徴であ
る乳房に描いた目は、母乳の供与に価する子であるかを見定める選別の主
体を意味し、腹に描いた図柄はオスを受容するメスの性愛を表すと同時に
生誕の門であり、この場合それは、臨月にまで及ぶ執拗な攻撃に耐え抜い
た胎児の為だけに開かれてあるという暗喩である。臀部の波紋は無限大の
力学またはエネルギー不変の法則を表し、群生の野草は旺盛な繁茂と終わ
りなき世代交代への祈念であろう。

 女王の与り知らぬ兄弟同様、不適格な子孫は凝血にまみれた暗紫色の肉
団子として胎盤ごとばばあに下げられ、岩山の薬房でいくつかの薬草や大
量の樹脂と混ぜられて、霊験あらたかな丸薬へと変身を遂げて来た。
 いつも種元は不詳であるにせよ、最も高貴な血統を主成分とする丸薬は
稀少な万能薬として高値で取引され、物好きな権力者や資産家の間で珍重
された。ごく限られた貴人や優れ者という選良にしか開かれない僥倖の口
が吐き出した髄喜の結晶は、時に不老不死の霊薬として歯の無い口へ運ば
れ、あるいは強壮剤として蒼白い咽喉を下った。
 偽物が出回らぬよう筆頭呪術師の専売とされ、純益の6割が国庫へ還流
する。つまり成長を遂げて母の懐に帰って来る仕組みである。その霊験は
詳らかならずとも、得難い秘薬の引合いは外国からも引きも切らない。
 と言うのは、この国の外には王孫を間引く慣習はなく、更に君主は男子
であって、多産に老けた妃との子らに富と力を分配するか、麗しく上気し
た愛妾どもに子種を分配するか、いずれも王統の安泰と存続を図りながら
却って権力抗争の火種をばら撒いたので、しばしば奸計の御輿に担ぎ上げ
られ果てしない殺し合いの連鎖に組み込まれた虚弱児達は、政略結婚の他
はさしたる有効利用の途が無いのだった。
 しかし女というものは目を掛けるほどに厚かましく、?たけた美人ほど
また仮面は厚く貞淑な装いの下に間男を隠す術に習熟していれば、王統と
いう前提がまず虚妄ではあり、図太い雑種の混入を防ぐ手立ては幾らもな
い。せいぜい留守居を施錠したとて真実のほどは、陵墓に横たわる歴々の
沈黙と同様であった。

 ところでこのまじない婆さん自身が偽薬作りの誘惑に駆られなかったか
と言えば、一族郎党はおろか曾孫の代まで養って尚余りある財を専らこの
製品で築いたのだから、それはしかとは知れないが、今度こそおのれのま
じないが力勝った喜びと、来期の原材料のあてが外れた失望との複雑な味
わいを、舌下にひそめていたには相違ない。


                             つづく 


散文(批評随筆小説等) Queeen Copyright salco 2010-10-02 22:01:03
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