原風景4
日雇いくん◆hiyatQ6h0c
「屁理屈言ってんじゃあねえよ」
権藤と言う名前のその担当は、もう六十過ぎにもなるらしいという事なのに妙に元気な小柄の男だった。土気色の肌に酒に焼けたようなものが混じり合い、脂乗りしている。坊主頭より少しだけ長く刈られた髪の毛の底が、鈍くぼんやり光っているのも見え、長年の使用で洗濯してもくたびれが取れない作業着の中で、頸にかかった白いタオルだけが妙にこざっぱりしてまぶしい感じがした。
こういうタイプの男が、屁理屈云々、などと言う時はどんな時かは、もう決まっている。
話を、一刻も早く打ち切りたい。
それだけが頭の中で一杯になってるということだ。
「とにかくだ、辞めてもらう。わかったら、もう戻れ」
権藤はそれだけをいうと、自分の机に戻り事務仕事をはじめるような素振りを見せ、もうこっちを見ることはしなかった。
用事さえすませば、厄介には一切かかわろうとしない。経験を積んだ、実に年配者らしい態度だった。生きるためにはこうすべきなんだよ、というような見事さが実に腹立たしい。
握りこぶしを固め事務所から去ると、現場に戻るまでの間、何がしかを思い浮かべさせられる。早足で歩くためによって起こる風が、頭から湯気が出ているかのようなほてりを強く感じさせられて、ああ今確かに怒ってるな、とわかる。わかると同時に、顔のこわばり、手足をはじめとする体の緊張、目線など、すべてが怒りによって支配されているなと、感じられた。
現場に戻ると、悪いとは思いつつ罪もない雑誌たちに自然に怒りをぶつけた。誰かと話をする気も、すっかりとなくなっていた。
このままでは、絶対に終わらせない。
就業時間が終わるまで、一念が続いた。
工場から歩いて十分ほどで最寄駅だった。
仕事が終わるとすぐにそこまで歩き、とりあえず近くの本屋で労務関係の本のコーナーを探し、目当ての本を見つけ読み出した。
今頃、権藤は一杯やっているのだろう。
思うと、さまざまな妄想が、殺意とともに目の前の空に浮かぶ。
立場もあるから仕方がないことではあったが、事務所内で見せた、憐憫の情のひとかけらもない見事な立ち振る舞いを思い出すと、怒りは増幅され続けた。もともと気が長い方ではないので、そのせいで愚行を繰り返して損ばかりしてきた。そのことを踏まえて自制を心がけつつ、しかるべき対応とはどういうものか、まずは調べものにとりかかったというわけだった。
と同時に、生きるべく要領を身に備えることで、権藤とたいして変わらないような人間像に、必然として少なからず近づいてしまわざるを得ないだろうと思わされることがまた不愉快でたまらなかった。
いずれにしても、この怒りが消える要素が新たに加わるような気配は、しばらくは、どうもないようだった。
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