旅の始まり 
服部 剛

いつも銅像の姿で座っていた 
認知症の婆ちゃんは、ある日 
死んでしまった爺ちゃんを探して 
杖を放り出し、雨にずぶ濡れながら 
駅までの一本道を、ずんずん歩いた。 

最近、壁の前に立ち止まったまま 
うつむいていた私も、ある日 
(ほんとうの自分)を探して 
時に小石につまづきながら 
もっと先の駅を目指して、ずんずん歩いた。
 
ちょっとやそっとの悩みなんぞに沈んでは
世界にひとりの花である 
私自身の、名が廃る。
 
今から約六十年前 
えへん、と言って焼跡の街から旅を始めた 
若き詩人の魂を、この胸に。 

愛する爺ちゃんを探して 
どしゃ降りの雨の中を、突き進む 
婆ちゃんの底力を、この腹に。 

永らく失われた「 はるかな国 」へと続く 
目の前の 
明日のドアを、私は開く。 

背負ったリュックに星の数ほど詰めこんだ 
火星人からの手紙を 
ドアの向こうの道で待つ 
かけがえのない人々に、届ける日を夢見て

他の誰でもない、この足で 
目の前のドアへ 
旅の初めの第一歩を今、踏み入れる。 





 ※「明日の友」(婦人之友社)初夏186号掲載 



 


自由詩 旅の始まり  Copyright 服部 剛 2010-09-28 20:40:33
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