西川口の女
はだいろ


三連休には困った。
やることがない。
というよりも、したいことを、するだけの、
金がない。
(体力も気力もないが)
欲望はストレスに比例する。
死ぬ間際に、ひとは勃起するらしいが、それはきっと人生の、
なにがしかの真実を語っているのだろう。


しゃあないので、
西川口のソープ(大衆店)へ行く。
大衆店というのは、
高級店の対義語で、
要するに、安かろう、早かろう、
お手軽店である。
高級店は、総額で、だいたい8万円くらい。
大衆店は、それが2〜3万円で、
中級店が、その真ん中というところである。


ここで、風俗というものも、
人と人の商売であるからして、
さまざまなことを学べるということを、
言っておく。
ぼくは主にデリヘルのユーザーであるが、
ソープと、デリヘルの大きな違いは、
来てもらうか、自分が行くかということは別にすると、
本番行為があるかないか、
という一点に尽きる。
しかし・・・これは、日本という社会の中の、
もっと細かく言うと、
「日本」が「社会」とみなしているシステムの中での、
おかしな約束事にすぎない。
そもそも、「本番」という言葉自体が、おかしい。
詩の中には組み込めないほど、
意味がない。
でもそうすると、話が先にすすまないので、
まあ、要するに、
おちんちんを、おまんこの中に、挿入する行為のことをさす。


西川口の大衆店の看板娘のいおちゃんは、
ソープに行ったことのないひとが、
想像するソープ嬢に、
かなり近いタイプだと思った。
ぼくが、ソープより、デリを愛する理由が、このあたりにある。
よくもわるくも、プロなのである。
ぼく自身と対しているのではなく、
ぼくのおちんちんと対している。
ソープという文化自体が、
ある種の様式なのだけど、
その様式にはまって、こころの自由がない。
はみ出ることをいやがる。
つまらない。
いちおう、射精はしたけれど・・・
ただ、射精するだけならば、オナニーのほうがきもちいい。
ほんとうだ。

ところで、
なぜ、「ソープランド」というかというと、
おもてむきは、あれは、
個室サウナなのである。
売春行為は違法なのだけど、
サウナということにして、
眼をつむったふりをしているわけだ。
国家というものは、かくに馬鹿馬鹿しいことを、
平気でやる。
そのくせ、レイプ犯はすぐに釈放だ。
ぼくたちは、多数派を盲目で正しいとするのが民主主義ではなく、
少数意見を全力で守るのが民主主義であることを、
学ばなければいけない。
教科書にそう書け。
そして、最後の授業では、教科書を燃やすことを、
必須とせよ。

デリ嬢にももちろんプロっぽい子はいるけれど、
もっと、ふつうの子がいい。
ぼくが立たせてほしいのは、
ほんとうは、おちんちんなんかじゃあない。
東京の灯り、
億千万の灯りのなかで、
ぼくの、
こころの触れられないところを、いちどだけ、
今夜、立たせてほしいんだ。

そのためなら、
お金なんかいくらでも払うよ。



ああ、すばらしい国、日本。
でも、もちろん、
すばらしいソープ嬢もいるに違いない。
そのひとに出会うまで、
もうすこし、
ぼくは冒険を続けようと思う。







自由詩 西川口の女 Copyright はだいろ 2010-09-19 18:50:08
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