道を走る、走り続ける
ブライアン

 高校時代、陸上部だった。毎日、飽きもせずに走っていた。一日中走り、土埃にまみれた。日が暮れ、顧問の集合がかかる。僕らはダートコースのようなグラウンドから一斉に走って集まる。
 練習が終わり、グラウンドを均す。グラウンド脇の砂利道を女子運動部が自転車で帰っていく。スカートがなびいていた。自転車のライトがほのかに薄暗闇を照らす。通り過ぎていく女子高生と、光。
 
 教師になりたいと考えなければ、大学へ行こうなどとは思わなかっただろう。高校3年まで本を読んだことはなかったし、勉強だってさほどしていたわけではない。毎日毎日走っていた。ただそれだけを繰り返していた。
 高校2年の冬まで、関東の大学が声をかけてくれないだろうか、と淡い夢を抱いていた。けれど、高校3年の春、全く記録の伸びる気配が感じられなかった。悔しさと一緒に無力を感じた。
 
 それとは裏腹に、高校3年の春、同級生は一躍県内トップクラスのタイムを作った。3年生の長距離チームは彼と2人だけだった。
 
 彼も当然、本など一切読まなかった。卒業してからもずっとそうだった。
 最近本を読み始めたんだ、本ってすごい面白いな、と去年の冬にあったとき、彼は言った。その時、そうだろ、と頷くよりも、何で本を読んでるの、と驚きの声を上げ続けた。
彼が本を読む時が来るとは思いもしなかった。
 
 先月、僕の誕生日の日に三浦しをんの「強く風が吹いている」を送ってくれた。箱根駅伝の本だから、と彼は言った。
 
 送られてきた本の包装紙は、地元の本屋のもので、かつて筋肉トレーニングの本やメンタルトレーニングの本を買った本屋のものだった。
 包装紙を丁寧にあけたりはしない。びりびりと破り取り、500ページほどの「風が強く吹いている」の単行本が出てきた。すごくうれしかった。

 読み始める。ぞっとする。ページをめくる手が止まる。信じられないくらいひどい作品だった。たぶんこれを読んで感動する人もいると思うと、寒気がしてくるほどに。彼女がなぜ箱根駅伝を取り上げてしまったのか。何を思ってこの小説を書こうと思ったのか。彼女は主人公たちをどうして男性にしようとしたのか。しかも体育会系の。

 でも、ふと思い出す。これをくれたのは誰だっただろう。高校3年間、ダートコースみたいなグラウンドで、毎日、土埃にまみれながら一緒に過ごした、彼からだったんじゃないだろうか。

 小説は嘘でしかない。けれど、作者の語る嘘は、誰かの体験にぶつかり、現実に蘇る。彼は、走ったことを思い出す。元々ゴールにたどり着けない駅伝を。付き添いのいない一人だけのウォーミングアップを。勝つことを期待されないレースを。

 小説はとても残酷だ。夢は夢。それでもだ、なにも知らずに描き出した夢物語は、高校1年生の春、期待に胸を躍らせたあの時の情景のようなもの。小説は嘘だ。けれどもっとゆっくりと現実は物語をつむぐ。小説と同じように。

 読後もやはり嫌悪感を隠せなかった。
 彼が小説から見た、かつて、の映像を、僕は最後まで呼び起こせなかった。それはもう、作品が愚作なのではない。僕自身が愚作なのだ。
 
 先日、妻と子供と一緒に帰省した。
 山の麓のお墓に行った。近所の隣組の人たちが、新聞紙や木屑を墓の上にある畑で焼いていた。空が燃えるように青い。焚き火の熱が空を歪めている。額に汗をかいた近所の隣組の男衆が、喪服に身を包んだ親族を促す。木陰で蝉が鳴いている。
 親族一同は大型バスに乗り込み、父は運転席に座る。姉の子供が助手席に座りたい、と騒いでいた。

 山が周囲を囲み、逃れるには焚き火で焼かれるしか方法はないように思えた。それでも道は東京までつながっている。道がつながっている限り、彼と僕は襷でつなぐことが出来る。後輩たちがいる。先輩たちがいる。
 勝者でなくてもいい。たどり着くことさえ出来れば。僕らは焚き火のように天へ登ることは出来ないだろう。でも、ずっと道を走り続ける。
 


散文(批評随筆小説等) 道を走る、走り続ける Copyright ブライアン 2010-08-04 22:03:11
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