書かれた—母(2010年参稿)
非在の虹

母は 捨てる
真昼に閉じた雨空へ捨てる
滑空する白色の鳥が堕ちる所
そこに堕ちる母のものを捨てる
湿地帯に隠された 母の書いたもの
そこに堕ちる母のものを捨てる
滑空する白色の鳥が堕ちる所
真昼に閉じた雨空へ捨てる
母は 捨てる
  
  *

母は 捨てる
母を 捨てる

  *

子どもは母と眠った。
深夜、不在の父の声が聞こえた。
それはおそらく父の怒る声だ。
と子どもは考えている。

子どもは母のベッドの下だ。
大好きなおやつはそこで食べるのが習慣になっていた。
ベッドが軟化した。
「上は大水 下は大火事 なあに」
子どもがつぶやくと
ベッドは元に戻った。

湿地帯を父と母と子どもが歩いていく。
三人が一緒というだけで
子どもの気持ちは浮き立っている。
何のきっかけか、父と母は黙った。
やがて母は湿地帯の高い草の中へ消えた。
父は母を追おうとはしなかった。
まもなく子どもの目から涙が流れ出すだろう。

湿地帯に隠された母の書いた詩集。
それは母が結婚する前に書いたものだ。
ほとんどが濡れており
読むことは不可能だ。
細い水の上を書かれた言葉が
流れていく。

子どもが生まれる以前
しばしば父と母は
湿地帯の高い草の中へ入っていった。
ある日無数の白い鳥がそこから飛び立った。
その日から二人で高い草の中へ入ることはなかった。

ベッドに母の生理用品が散らばり
その中に母は座っていた。
子どもは何が起こったのかわからない。
でも何かが起こったことはわかる。
ベッドから流れるおびただしい血が川となる。
しかし子どもの遊び場にはならない。

やがて子どもが眠り
母は戸口に立っていた。
その扉の向こうは湿地帯だ。

  *

母は捨てる
母は詩集を捨てて走る
衣服を捨て
家族を捨て
生理用品を捨てて湿地帯を走る
当然のように
母の手に子どもはいない


自由詩 書かれた—母(2010年参稿) Copyright 非在の虹 2010-08-02 23:11:44
notebook Home