猿ぐつわの男
豊島ケイトウ

猿ぐつわを噛まされた
裸の青白い男が椅子に坐っているので
私はどういうわけか
ふるさとを思い出さずには
いられない

椅子の背に両手を縛りつけられ
陶器のようにつるりとした太ももに
一滴 そしてまた一滴 と垂れ下がる
男の涎よ 無言の叫びよ
――もっと聴かせてほしい

窓辺に止まった鴉の眼差しは
猿ぐつわの男の弟の反映である

遠く近く流れるファンファーレは
決して甲子園の入場などではない
猿ぐつわの男に捧げる友情である

てめえ シラを切る気か
と軒下で男が怒鳴っている
ああ そうかい
なら勝手にやらせてもらうぜ
ええっ? どうなんだ!

聞いていて
いつの間にか私は その男を睥睨している
ばかなおとこだと毒づく
勝手も何もあったものではない
自分を何様だと思っているのだろう
この男を見てみなさい
この目の前にいる男は
猿ぐつわという桎梏を受け入れ
状況を把握する力すら 失っているのだ

私は男の涎よりも醜い涙を流す
それは男の太ももの皿を通過して
無価値にも赤黒いペディキュアを濡らす

や やめろ
と再び軒下で男が怒鳴り出す
俺が何かしたのか
ああそうか 俺は何かしたんだな
だからおまえは 俺を つまり
否定しようとしているのだな
わかったわかったわかったから――

銃声が鋭い槍のように天に突き上げられた

はじめて目の前の男と眼が合いそこには
 に げ て
  き み だ け で も
と板書されていた

私は部屋を出て階段を駆け降りたものの
実のところ
もうとっくにもうどうしようもなく
袋小路に突き当たっているというのに
私は
まだ男に 名前をつけよう
などと考えている
今しがた銃殺された男ではない
すでに死んでいるのだと自覚している
猿ぐつわを噛まされた方の 男 である

名前は――
できるだけ花の響きがいい


自由詩 猿ぐつわの男 Copyright 豊島ケイトウ 2010-07-25 18:54:59
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