十三歳、
光井 新

 母さん、ねぇ、お願いがあるんだ。どうしても欲しい本があるんだ。もう僕は、他には何もいらないから、その一冊だけ、ね、いいでしょ。その本は図書館には置いてないし、発行部数も少なくて、でもそんな事はどうでもよくて、僕はただ、どうしても手元に置いておきたいと思うんだ。二千円位なんだけど、これからの僕の人生を左右すると思うんだ。エッチな本とか、そういう変なのじゃないよ、とても素晴らしい本なんだよ、その、えっと、詩集なんだけど。
 凄い詩人がいるんだ。インターネットで偶然見つけたんだけど、本当に凄い人なんだ。教科書にのってるような、宮澤賢治とか、萩原朔太郎とか、中原中也とか、高村光太郎とか、母さんでも知っているような有名な詩人達と比べても誰よりも凄いんだ。とにかく凄いんだ、時を止めたり、空間を移動させたり、魔術師のようにレトリックを自由に操り、妖刀のような艶がある鋭い言葉、その切っ先を喉元に突き付けるような緊張感で迫ってくる。そんな凄い人が、同じ言語を話す国で、同じ時代を生きている。きっとなにか意味がある事だと思うんだ、まだちゃんと理解できていないけれど、それでも、彼の言葉が放つ輝きはとても眩しくて、僕の人生にとって、この詩人の存在こそが光なんだ。
 僕が学校に行かなくなったのは、生も死も分からなくなったからなんだ、上手く説明できないけど。でもね、あの人の詩に触れて、なんとなくだけど、なんとなくだけどね、ちょっとだけ分かったような気がするんだ。あの人の詩は、死を実感させるっていうか、勿論イメージやニュアンスなんだけど、読んでいる側からしてみたら、到底辿り着けないような、内側へ、そして死へ、向かっていって、だけどそれは生でもあって、僕は、あの人の詩を読んだり、あの人の詩について考えている時だけ生きている事を実感できるんだ。学校に行かなくなった頃、ちょうど半年前だけど、景色は色褪せ、母さんには悪いけど、何を食べても味を感じなくて、楽しいと思う事もなくて、僕は何の為にいきてるんだろうって思ったんだ。だからって大げさな苦しみなんかもなくて、植物人間にでもなったかのようで、それが辛くて仕方なかった。学校に行くのも、他人に会うのも、面倒になって、だからって自殺を考えるのも馬鹿らしくて、死を望む人間よりも人生に絶望していたんだ、生きているのか死んでいるのかも判らずに、ただ無気力に。だけど、あの人の詩と出会ってから全てが変わったんだ、今だって相変わらず景色は色褪せ、何を食べても味を感じる事はない、でもね、あの人の詩に夢中になれる、それでプラマイゼロ、それどころか、僕の概念からプラスもマイナスも無くなって、僕は、生きている、そう強く実感できるようになったんだ。そしたら、今まで黙っていた僕の心は急に叫びだして、まだ拙くて詩なんて呼べるようなものじゃないかもしれないけど、その叫びを書こうとする事に必死になれたんだ。眠る事よりも、食べる事よりも、魂を走らせる事に必死になって、ああ、生きて、生きて、僕もいつか……って。
 ねぇ、母さん、笑わないでね、僕、詩人になりたいんだ。才能は無いし、魔術師にはなれそうもないけれど、努力を重ねて、職人気質な詩を書きたいと思っているんだ。妖刀の艶は無くても、名も無い刀鍛冶が仕事をするみたいに、その鉄を、その魂を、一生懸命叩きたいんだ。ねぇ、母さん、泣かないで、ね、僕明日からまた学校に行こうと思うんだ、でもね、中学を卒業したら働こうと思う、そして自立して、ちょっとずつお金も貯めて、文学を勉強する為の専門学校に行こうと思うんだ、高校や大学じゃなくて。僕、詩の事だけを考えて生きていきたいんだ。この先どうなるかなんてわからないけど、恋もしたいとは思わないし、友達もいらない、家族もいらない、趣味とか娯楽とか、そういうのもいらない。僕の頭の中は詩でいっぱいで、それ以外他に何もいらないんだ。母さんから見たら寂しい人生かもしれないけど、ありがとう、母さん、生んでくれてありがとう。
 本当にありがとう。詩集、Amazonで注文するね。


散文(批評随筆小説等) 十三歳、 Copyright 光井 新 2010-06-28 12:34:51
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