桃破壊する少女/ふるる
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春の風草食動物月面へ
そよかぜが草原を渡り、そのままふわっと浮き上がって月まで届く。重さを失った草食動物が、ふわふわと運ばれていく……。さらっと読んでも十分に面白い。
句を見ると、漢字がずらっと並んでいる。そのため、ぱっと見たときに何がなんだか分からず、脳が情報を処理しきれない。漢字が単語として認識されず、漢字として並列的に目に入るのだ。
と、見てみれば「春の風」と「草」が並んでいる。「草」は、よく読めば「草」ではなく「草食動物」の一部なのだが、脳は第一印象でそれを認識できない。これが上手く機能する。春の風がざあっと草原をゆらし、緑の絨毯がさざなみ立つようなイメージが自然に浮かぶ。
また、この句の面白さは、その動きにあるだろう。どこからかやってきた風が草原を通過し、草食動物を乗せて、そのまま遥かな天空の彼方へと放物線を描くのが見える。このスピード感が気持ちいい。
春の野、草食動物という牧歌的で彩りを感じる情景から一転、青空を突き抜けて、真っ暗な宇宙を通過し、灰色の荒涼とした月面へ。この色彩的なコントラストは素敵だ。
月面という単語の持つロマンもさることながら、一瞬に吹きぬけた風の後、今しがたまで草を食べていたはずなのに気がつけば月面にいた草食動物のキョトンとした表情なども、考えると楽しいだろう。
一読、傑作だと感じた句。
妹の悩みの種を埋めてきた
妹の「悩みの種」という形のないものに形を与え、「埋めてきたよー、花が咲くといいね」というような微笑ましい読み筋がある一方で、暗い読み方も可能である。
仮定の話ではあるものの、妹の悩みの種といえば男ではないか、と想像をひろげるのはあながち無理なことでもない。それをいましがた埋めてきた、となれば、これは一転して猟奇的な句に読める。
まあ、無理にそう読むこともないが、「悩みの種」と「植物の種」を重ねる発想が一発ネタに留まらず、世界観を広げたことを評価したい。
新聞紙巨きな影に手渡され
普段はそんなに意識しないが、新聞とはいったいどこからくるのだろう、とふとした時に思うことはないだろうか(冷静に考えれば新聞は新聞社で作られているわけだが、それは今はおいておく)。
漫画に「恐怖新聞」というのがあるが、人間は、そうした毎日毎日「気がつけばある」ものに対して、不思議と「ありもしない想像」の余地を感じるものだ。
新聞には「世間」がある。そして、その「世間」は更新され、「真実」のラベルを貼られて、毎朝当たり前のように、自動的に届く。なんとも不思議である。
紙面に書かれていることは、はたして本当のことなのか。それは一読者には判断できない。ただ本当のことだと信じて受け容れるしかないのである。
この句は、マスコミュニケーションの巨大さに思わず陰謀論を打ち上げたくなるような句でもあり、前述の「恐怖新聞」のように、なにか得体の知れない巨大な意思の存在を世間の背後に見る句でもあるのだ。
風刺という点での凡庸さが足を引っ張る憾みはあるものの、句の構成や佇まいには惹かれるものがある。覆いかぶさるような「巨きな影」と、こじんまりとした「手渡す」のコントラストが面白い。
白い鍵盤 桃破壊する少女
白い鍵盤、のあとの空白「 」に、一瞬の脳髄の空白とでも言うべきものがある。それは白い鍵盤の白さでもあり、桃のような柔らかに熟れた心の裡の、真っ白な心象でもある。
鍵盤の硬質な響きがあり、余韻が続き、その後に訪れるであろう必然の静寂に向けて限りなく近づいていく、それが恐ろしくて耐えられない。音色はいまにも途絶えて終わる。いま終わる。いま終わる。いま終わる。狂気は膨れ上がっていく。そしてふっと世界は静まり返り、音もなく終わりが鳴り響く。後には破壊された桃と、少女が残るのだ。
桃破壊する少女、というパワフルな字面にはユーモラスさもある。白い鍵盤とくれば、当然破壊するべきは鍵盤ではないのか、と思われる向きもあるだろうが、ここに取り合わせの妙がある。
まったく鍵盤と関係ない桃の存在は、「鍵盤と少女」という端正で硬質な世界の異物である。そして、桃は「食べられる」「熟す」「腐る」といった、生々しい肉のイメージを、その端正な世界に持ち込む。絵に書いたような薄っぺらい「少女」という記号に肉体が宿り、それが破壊されるのだ。
白い鍵盤は潔癖にも通じるかもしれない。潰れた桃から飛び散った果汁が白い鍵盤を汚し、そのあと少女はどうするだろう。想像を巡らせてみるものの、なにもかもが空白に飲み込まれていくようで、何も考えられなかった。全ては一瞬の空白と、そこで鳴り続けるこの世ならざる音色だけが知っているのかもしれない。