月のありかは
ねことら
真夜中のモータープール。コンタクトのまま寝てしまってたみたいだ。世界は半透明な膜に覆われていて、ゲンジツカンがない。筋肉痛で首がごわごわだよ。ルームミラーに映る曲がったスプーンのような月が、不安定にゆれていた。リクライニングシートを倒して、もういちど眠ることにする。
きのうは眠剤のみすぎてかるくオーバードウズ。ひし形やしかくのきらきらが金平糖のように部屋中に積もっていてきれいだった。足をざくざくいれながら陽気になって大声でワンダーウォールを歌った。わたしはいつもひとりだったけど、ドアノブを部屋のいたるところにとりつけてるから、24時間だれとでも一緒に逃げることができるよ。
ナオトはセックスのときだけやさしくて、電気でできた釘をしんぞうに打ちこまれたような幸福感でわたしはぼろぼろ泣いてしまう。きもちよくてきもちよくて泣いてしまう。それ以外のナオトは冷たくて、ときには暴力をふるうから、わたしはひどく怖れている。
車を買ったんだ、新車だぜ、と、ナオトは助手席にわたしを乗せてくれた。セックス以外でナオトにそんな風にやさしくされるのは初めてだったから、とてもうれしくて、お気に入りの白のニットセーター羽織ってひどくにこにこしていた。気持ちのいい春だった。ナオトはやけに陽気で、乱暴にハンドルを切りながら郊外のアパートにわたしを連れて行った。錆びたノブをがちゃりと回して、ナオトが扉のなかへわたしを招き入れる。つん、といやな匂いがした。薄暗い部屋、注射器、紫色の煙、ゴミ袋から溢れて床に散らばる血のついたティッシュ、ガーゼ。たくさんのおとこと、おんな。ナオトは、しらない女の人とケタケタわらいながらセックスしていた。ちょっと、あいだあいだの記憶はなくて、わたしも、みたことのない男の人に、すこし変な風に犯されたり、ぶたれたりした。さいごまでじっとしていたとおもう。不思議に、涙は出なかった。硬いプラスチックのうえを、速い風はただ擦るようにとおりすぎていく。ずっと眼はあけたままだった。
深夜。涎をながして眠りこけていたナオトのポケットから車のキーを取り出し、ガレージまではしった。ぐちゃぐちゃに震える手でドアの鍵を開け見よう見まねでエンジンキーを回す。思い切りアクセルを踏みタイヤを軋ませ夜の国道をはしった。対向車のすごいクラクション。ヘッドライトの拡散。カーラジオからは爆音でキスだのラブだの甘ったるい声でポップソングが流れてて、止め方もわからなくて、頭はがんがん割れそうに痛んだ。きがつくとビルの立ち並ぶ知らない街にきていて、曲がり角のたび左折と右折をくりかえし、さいごは墜落するみたいに地下のモータープールに車を滑り込ませた。エンジンを切る。なんだか震えが止まらなくて、速い胸の鼓動を感じながら、ずっと両腕で体を抱えていた。それでも、いつのまにか眠りにおちていった。
明けがたのモータープール。ラブホテルから従業員があくびしながら出ていくのが車の中からみえた。半地下だから陽がゆっくり差し込んできて、停められたたくさんの車のボンネットがいくつもひかりだしていた。遭難していた惑星の交信みたいに。わたし、はじめて運転しちゃった。かなしくておかしくて、あとからあとから涙が出てきた。声に出して、すこし笑って、蛇口が壊れてしまったみたいにずっと泣いていた。しずかな朝だった。お気に入りのセーターはアパートに忘れてきてしまったから、あたらしいものを買おう。きれいな色のものがいいな。ドアを開けると、冷たい空気がゆるりと溜まっていて、せかいはまだ眠たそうな顔をしている。車の鍵を抜いて、ちからいっぱいあかるいほうへ投げた。ちゃりん、と硬い音がした。
太陽が昇りきるまで、まだもうすこし時間はある。