石川先生の思い出
板谷みきょう
転校する前の緑ヶ丘小学校の時
担任の石川先生が音楽の時間に
みんなに宿題を出します。
今度の音楽までに
短い歌を作ってきて下さい。
そして音楽の時間がきたら
みんな次々と
学習ノートを持って
教室の前に出て歌った
石川先生は
放送室から持って来たテープレコーダーを
教卓の上に置いて
ひとりひとりの歌を録音していた
みんなが作ってきた歌は
かっこいい曲だった
宮本くんなんて
ウルトラマンみたいな歌に
振りも付けて歌ってたんだ
段々と順番が近付いてくると
どきどきが、激しくなって
吐きそうになったことを覚えてる
順番が来てボクは
教室の前に出た
教壇の横で
すごく恥ずかしくなって
モジモジした
長尾さんや
宮本くんや
大友くんも
みんな見ている
本当は歌を作ることが
できなかったんだ
どうしたの、板谷くん。
頑張って歌ってごらん。
石川先生が言った
♪
○○くん 遊ぼーう
あーとで
どうしてさ
××くんと 遊んでる
みんなで 遊ぼう
なら いーいよ
♪
思い付いたまんま
わらべ歌のような節で
小さく歌って席に戻った
そんなことも忘れ始めた学期末に
石川先生は
ガリ版刷りの学級通信に
みんなの歌を載せて
ひとりひとりに配った
みんなの歌を楽譜にしました。
この中で先生が好きな歌があります。
それは、板谷くんの歌です。
みんなの名前を
当てはめて歌えることと
「みんなで遊ぼう。
なら、いいよ。」という詞です。
板谷くん。前に来て、発表して下さい。
そしてボクは、みんなの前で
先生が付けてくれたオルガンの伴奏で
思い付きで作った歌を歌った
みんなもいつまでも仲良しで居て下さい。
先生は、都合で次の学期からは
別の学校に行くことになりました。
だから、クラスの担任は続けられません。
そう仰ったのです。
あの時、近藤さんが
すごく泣いた
石川先生
先生がボクの歌を褒めてくれたこと
それが
歌を作るきっかけになってます
あれから
ボクは、大人になった今も
フォークシンガーです