現代思想に関するスケッチ(2010/05/04)
藪木二郎

 昔ね、現象学豚野郎(*)にも、コケにされちゃったことあるんすよ、私……。
 そいつはね、こっちが何を言ってもそのあとに、
「──と、あなたが考えているということからしか、始められない!」
 とか言ってくんの……。ホントに何を言っても、こっちの一言一言に、一々……。ドクサなんて言葉を所構わず振り回してるような奴だったから、やっぱ現象学豚野郎でしょ? そいつ……。
 言い合いの発端は大抵そいつが、
「あなたは自分の外部にある何かを信じて、モノを書いてしまっている!」
 とか言ってきて、で、こっちもいい加減ウンザリしてっから、
「──と、僕が何かを信じていると、君が考えているということからしか、始められないんじゃないの?」
 とか言い返すことになるわけだけど、それに対してもしたり顔で、
「──と、あなたが考えているということからしか、始められない!」

 一度だけだけど、そいつとちょっとだけマトモな会話が成立したかな? って思えた時があったんだけど、そん時はそいつのほうが、「生活世界の植民地化」とかなんとか言ってきちゃってて、
「おいおい、その『生活世界』ってのはなんなんだよ? 全てはドクサで、僕が、──と考えてるということからしか、始められないんじゃなかったっけ?」
 って聴いてみたら、
「僕はね、あなたみたいに、何かを実体視してモノを見たりはしないんですよ! 生活世界と言っても当然、その生活世界に関してもね!」
 とか言い返してきて……。マトモな会話が成立したっていっても、まぁそんなモンだったんすけどね。

 とはいえそいつのほうでは、僕たちの間にマトモな会話が成立しないのは、僕のほうが「素朴実在論レベルのヒトだから……」って、考えてたようすけどね……。

 もう少しあとになって、もう少しマトモな先生方に、
「私はね、あんたらの弟子スジに当たるゴロツキ連中に、何度も何度も、ヒドい目に遭わされているんですよ」
 なんて、ちょっとこっちのほうからからんでいっちゃったりしたこともあるんすけど、そんな時には、そんな話は、
「──あなたの個人的な記憶の問題でしょう? 例えばフッサールを批判するなら、やっぱりフッサールを読んできてくれないと、話にならないなあ!」
 なんていう風に片付けられちゃって、まあ敢えて言えば、記憶や証言ではなく、もっと具体的な文献上の証拠を──、ってことになるんでしょうけど……、でもまた、ドクサだとか幻想だとか、パラダイムだとかなんだかとか、別の背景も勘案しないと、「素朴実在論レベルのヒト」にされちゃうわけでして……。

 それにその先生方だって、内ゲバの記憶越しのスターリニズムの記憶を敷衍して、ヘーゲルを語っちゃったりナチズムを語っちゃったり、更には近代や西欧を語っちゃったり……、しちゃってたようすけどねえ……。
 実際その先生方のヘーゲルに関する知識ときたら、彼がナポレオンのイエナ入城を見て何か言ったとかなんとかっていう、武将言行録レベルの証言だけなんすよ。

「先生、先生、具体的にヘーゲルの著書を、引用してみてくれませんかね?」
「その『具体的に』ってどういうこと? そんなパラノイアックな本の読み方、まだしてたヒトがいたんですねえ?」


  * 因みにこの豚野郎は,黒豚ではありません.多分読まれてないんだろうけど,一応,前回の自分の投稿へのコダワリ…….金髪なのかなあ,やっぱ…….


散文(批評随筆小説等) 現代思想に関するスケッチ(2010/05/04) Copyright 藪木二郎 2010-05-04 21:31:39
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