創書日和【清】清水
大村 浩一

清水には時々出掛けた
中学から高校を卒業する頃までは
静岡に最も近い隣の市(し)だったから
中学の時 清水港線や静鉄清水市内線に一人で乗りに出掛けた
母親の買ってくれたコニカのカメラに
怪しい銘柄の18枚撮り白黒フィルム
鉄道マニアであることがクラスでの存在理由だったから
どちらの路線も高校に入るまでに廃止された
高校の頃は他校の友達と自転車で強行突破
輸入モノのプラモを置く模型屋があって
電車代が惜しい それだけの理由
体力だけはあったが片道一時間かかった
行ったのは模型屋だけ
港も見なかったし次郎長の事も知ろうとしなかった
ただ一度きり見た袖師の うら淋しい路面電車の車庫を思った


大学以降は素通りする街
ついには合併され同じ静岡市になった
つい5日前にも日帰り帰省で通ったが
インター手前のGSとコンビニに寄っただけ
コンビニの奥に小洒落たレストランがあったが
入ってみる前に店主が脳溢血で倒れて閉店
建物だけが残っている
こんな風にしか関われないまま
全て終わる公算がいよいよ高まった
この後何か大事が起こって
忘れられない街になるかもしれないが
それはあくまでも後の話
何も知らない後ろめたさのままに
また通り過ぎていく


2010/4/29
大村浩一


自由詩 創書日和【清】清水 Copyright 大村 浩一 2010-04-30 12:52:24
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