
高尾へと向かう中央線の車窓から、シャッターを切った。
翌日、自室で現像したネガを、ライトボックスでチェックした。
テニスコートを撮影したコマが面白そうだったので、さっそく焼いてみた。
赤いライトに照らされた現像液の中に、霞がかかったようなテニスコートの姿が、浮かび上がった。
撮影者である私が乗っていた電車の車影が、プリントの下部に写り込んでいる。
その細長い電車の影に混じって、ぼんやりとした人の影が映っていることに、気付いた。
私は、首をかしげる。
撮影時、左右二面あるテニスコートのうち、右側のコートに人影は無かったはずだ。
ところが、出来上がったプリントに写った右側のコートには、うつむき加減の人影が、はっきりと写っている。
幾ら目をこらしても、同じことである。
結局私は、そこに写っている奇妙な人影を、自身の記憶違いのせいにするしかなかった。
「それにしても」
と、私は心の中で呟いた。
そこにある人影は、どうみても、スポーツに打ち興じている姿ではない。
むしろ、じっと頭を垂れて、ひたすら何かを思いつめているように、目に映る。
それから数日のあいだ、私の心の隅には、その奇妙な人影が、古い建物の壁にこびりついた染みのように居座り続け、なかなか消え去ろうとしなかった。