オドゥ山統一展望台から見る詩
はらだよしひろ
牛車を曳く農夫
遠くを望む展望鏡のすぐ目の前には
トーチカが控えていて
漢江は緩緩と流れている
車は無く、舗装された道さえ知らないであろう人々が
彼らは幸せを感じているのだろうかと思えるほどの
陽射しの中で、確かに歩いていた
ここでは小学生達が野外学習なのだろうか
はしゃいでいた
昔、銃を向け合ったこの場所で
展望鏡を覗く眼差しが向ける悲しみとはよそに
ここのすぐ周りの木々は春に息づいて
花を彩っている
漢江の向こう岸には、山に木さえ生えていない
それでも長閑な時なのだろう
犬を連れて散歩する夫婦を見受けた
この国では向こう岸にある国をプガンと言い
漢字では北韓と書くそうだ
あれが同じ大地とは思えまい
確かにここでは人々に笑いも溢れ
車が多く走り、木々が生命づいている
赤い旗が揺らめいている
大地の違い様を漢江は緩緩と流れている
同じ人ではないか 愚かさも皆同じなのに
歩く事も 犬と散歩することも
食べる事も 着る事も・・・・・・そして生きていることが
でも、もしここに自由に行き来できる橋があるなら
僕らは向こう岸まで五分で行けよう
彼らはここまで一時間かかるに違いない
望める距離とはいえ、約六?の長さは
計り知れないほどの遠さをもって
小学生達は笑っている
むこうにみえるのがプガンです
あそこにいるひとたちも
わたしたちとおなじことばをはなします
気分は遠足なのだ
富める国に注がれた笑いなのだ
と、展望鏡から目を離す
思い浮かべる――――
牛車を曳いた農夫
犬と散歩する夫婦
舗装されていない道
禿山の連なり また 連なり
脳裏を掠める(詩が浮かぶ)
ゆるゆると ゆるゆると 川面きらめき
牛車が行けば かなしさが
たおやかに過ぐる いまと
笑うも とめるものなりて
知れず ゆえに 知れず
木 埋もれる 土も
山と 召し
歩くも また いきるゆえ
指す陽も さんざめく
まなざしも いきるゆえと
すがた あるに
かげも ある
終わったのは僕ではなく時代だ と
言える口唇を どこに届けようか
溢れる笑いに届けようか
そこにあるトーチカに届けようか
(いま一度展望鏡を見る)
あの牛車を曳く農夫に届けようか
あの禿げた山並に届けようか
霞める雲もまぶしく
移ろいのみが地を這っている
形も在るがままに
言葉が沈黙となる
思えまいと過ぎる過去から発せられる
声無き大地が ふくよかにさえわたる
鳥の鳴き声から見える
時を同じく生きた血とて
富めるものは取り留めの無いものだけを残して
微々とも言えない喜びは
いつ訪れるのであろうか
始まったのは時代だと