ホームレス状態の人のこととか
真島正人

なんとなく書きたくなったので。ざくっと。軽く。軽く書いたら怒る人は怒りそうだけど。今回は怒られるの覚悟で。ホームレスのことで思い出すこといろいろ。



とりあえず、正直なところ、こんな程度の認識だよ、俺は、ってのを示す意図の文章です。
ある人が正直に書いてどんなモンの認識なのか、ってのは、統計上とか、なんかに役立つでしょう。
あと、もしも僕が、特に深く考えず、あまり配慮せず、こういうこと書いたら、いったいどういう文になるのかな、と。
そこにどんな無意識下の自分の本性というか、考え方が出てくるのか、自分で見たいな、と。



ホームレスを特別視したことはないよなぁ、というのが「とりあえずふと思う」こと。
僕は中学に進学してから高校を卒業するまで述べ6年間、天王寺の塾に通っていたから、そりゃホームレスはよく見かけた。
でも、いくらでもいるんだから、別に「いる」ってだけの感触。
「あ〜、いるなぁ」って。
というか、別に「いるなぁ」とも思わなかった。
そりゃ、普通じゃない動きをしている人がいたら、目を惹いた。
明らかに精神状態が普通じゃない人ね。
ずっとぶつぶつ言ってるとか。
でもそれは、目を惹いて当たり前だよね。
仕方がない。
それを「見ちゃダメ」とは言えない。
他のいろいろな「目立つ」と同義で「目立つ」のは事実。



プロフィール見りゃわかるけど、オタクなもんだから、恵美須町だって日参していた。
「バシでバイトしてんじゃないの?」とよく笑われたもんだ。
大阪でエロ本を買うなら恵比須町ってなもんで、あの辺も天王寺区になるんじゃないのか?
通天閣はすぐそばだ。
基本的に、電気街+中古レコード屋街+エロ本屋って構成の町で、この10年でだんだんとエロ本屋の比率が増えてきた。
メイド喫茶が現れたのはたぶん5年ほど前ぐらいからだと思うけど、潰れてはまた出来るので、相対的な比率は変わらないんじゃないのかな。
で、その恵美須町は歩道にたくさんホームレスしてる人がいる。
僕は、客が帰ったあとのシャッター街になった恵美須町を歩くのが好きだったので、深夜に恵美須町をよくぶらついていたもんだけど、ほとんどすべてのお店のシャッターの前でホームレスをしている人が寝ている。
でも、「だから?」としか思わない。
特に気になったことがない。
その証拠に、数年前の恵美須町にどれぐらいのホームレスの人がいたのかを思い出そうとしても全然思い出せない。
メイド喫茶と一緒で、この5年ほどで増えたっけ?
前からいたっけ?
よくわからん。
思い出せん。
「あの辺、サラリーマンいたっけ?どうだっけ?よくわからん。思い出せん」と同じ感覚。
それで特に問題があると思わん。



ホームレスの人としゃべった記憶は、思い出せる限りでは一回だけで、学校の帰りに急に「にぃちゃん、ちょっとでいいから金をくれ」と急に声をかけられたことがあった。
そりゃびっくりした。
急に声をかけられたんだもん。
で、「あぁ、ホームレスってどうやって生活が成り立ってんだろう。しらねーなぁ。飯食えるのか?死んでないんなら食えてるのか?でも、もしかしたらろくに食えんのかも知れんしなぁ。よっぽど性急に金がいるのかも知れんなぁ」と思って、「まぁ、どうせ小遣いぐらいしか持ってないし、あげますよ」と言って、ポケットにあった小銭を全部渡した。
と、実は2円しかなかった。
すっかり忘れてたのだが、漫画を買ったから全然お金が残ってなかったのだ。
するとホームレスのおっちゃんは、「2円て。いらんわこんなもん」と怒鳴って渡したお金を投げ返した。
これは強く印象に残っている。
僕はそのとき、強く憤慨した。
「おぃおぃ、こっちは持ってる金渡したってのになんだその扱いは。確かに少なかったが、2円でも金は金だろうが。かえすにせよ、礼儀正しくかえせよ」と思ったもんだ。
でも結局何も言い返さず、「すんまへん」と言って帰った。
家に帰って祖父に怒りながらそのことを話したら、「ま、相手は大の大人や。2円ぽっちじゃ腹も立つわい」と返答された。



祖父は、ホームレスしてる人なのかどうか知らんが、空き缶集めをしているおっちゃんと早朝、よく世間話をしていた。
もしも空き缶集めという職業が、ホームレスをしている人の仕事でないならば、大変な失礼を僕は書いているかもしれないが、認識としてそんな程度であることを、わざわざここで取り付くっても仕方あるまいと思うので、あえて調べずに書く。
世の中にはヘーゲルが何を書いたのかよく知らない人がたくさんいる(僕もよく知らない)。
同じように、空き缶集めがどういう人の職業なのか、よく知らない人だってたくさんいるだろう(僕はよく知らない)。
これは「現状」だと思う。
「無礼」とはちょっと違う。



恵美須町を夜歩いていると、閉店後の中古ゲームショップの店員が、ホームレスの人にダンボールをあげているのを見かけたことがある。



これまた失礼な話かもしれないが、ホームレスで思い出すのは、あのダンボールの家だ。
大学受験の頃、よく話題に上った。
というのも、受験の役に立たない、テストに出そうにない本ばかり読んでいて緊張感のない僕に友人たちは、「お前みたいに夢想癖のブンガク好きは、いい大学にいけなくて将来困るぜ。お前のゆくゆくはホームレスやなぁ」とよく笑いかけた。
僕はそのたびに「へ、へへ、でっかいお家立てるでぇ……ダンボールのナ」と答えたものだ。
考えてみりゃ、基準によりゃ失礼かもしれないだが、実際口に出していた言葉だから、隠しようはない。
正直なつもり、別にホームレスをしている人を必要以上に差別しているつもりで口から出た言葉だという気持ちは、なかった。
この頃以降、僕の将来はホームレスというのは、友人たちの間の定説になったが、もちろん未だになっていない。
たぶん今後もならないと思う。
いや、今の仕事の如何ではなる可能性はゼロではないが。
ここで僕が考えるのは、ここで言う「ホームレス」は、相当に現実の「ホームレスの人」と隔たった、空想の産物だということだ。
ホームレスを定型文化した、本当のホームレスではない、ホームレス。
でも、人々の頭の中にそういう「定型文化された『それ』」が生まれるのは当たり前ではないのか。
生まれることそのものを、否定することは、出来ない。
もちろん、そして、そのようにして生まれたイメージを解体する作業にいそしむ人々がいる。
僕はその作業を否定しない。
しかし一方で、「別にある程度でいいじゃないか」とも思う。
ある程度というのは、世の中に「政治家」というイメージ化された職業や「教授」といったイメージ化された職業があるように、というか、あらゆる概念は、実体と、イメージ化されたそれを持つので、すべてを水平にすることは、難しい。
問題のないレベルに解体する、でいいと思うし、その問題のないレベルをどの程度に設定するのかが、人々全体の集団としてのセンスの見せ所だと思う。



プル式さんが書いておられた文を読んで、はじめて「どかた」「ペンキ屋」が差別用語だと知った。
僕は建築会社の社長の孫なので、「どかた」のおっちゃんたちにはたくさん接してきたが、普通に「どかたのおっちゃん」と呼んでいた。
ペンキ業者だっていろいろ知り合い入るが、普通に「ペンキ屋のおっちゃん」である。
それぞれ、差別的な語感であると感じたことはなかった。
そもそも、おっちゃんたちは、自分たちで「どかたやっとるからなぁ」とかしゃべっていたと思う。
「この単語は差別である」と規定しなかったら、むしろ別に差別用語じゃないんじゃないの、それって、とも思う。
「どかた」は「どかた」でしょ。
建築人夫のことでしょ。
どこが差別なん?
深く考えたこともない。
深く考えなきゃダメでしょーって突込みが入りそうだけど。
いや、僕が、良く知らないだけで、深い事情があるのかもしれないけれど。
でも、それを問題だと思わない場においては、それは問題ではないのでは?
働いてる人に意識統計とって「呼ばれたくない」という意見の人が半数以上を占めたら、呼び方変えるけど。
どうなん?
呼ばれたくないモンなの?
いや、知らないから、疑問なんだけど。



ちょっと話がずれたけど、最後にもう一度、ホームレスについて。
僕が思うことは、ホームレスの人にも、いろんな事情があって、人それぞれじゃないか、ということだ。
働かずにお金を使いまくって、その結果ホームレス状態なら、それはしかたがないんじゃないのか。
もしも多少馬鹿にされても仕方がない。
「勉強しなくて、試験で落ちた」という奴が「ばかだなぁ」といわれても仕方がないのと同じ尺度で、仕方がない。
一方で、やむにやまれない事情があって、ホームレス状態なら、それはもちろん、馬鹿にされるべきではない。
だが、他人のその事情を、いったい誰が知ってくれるというのか。
それは、知り合いになり、長い話を聞かなければ、判断できないことだ。
だが、正直なところ、理性的な判断をして、日本中すべての人が、すべてのホームレス状態の人の話しを聞いて、吟味して、判断するなんてことは、不可能だ。
だからこそやはり、実体とは違うイメージ化されたホームレス像というものに、すべてが一括りに回収されることを免れることは、難しい。
それと闘いきることは、不可能ではないのか。
僕が思うに、僕は、天王寺を歩いていて、ホームレス状態の人に襲われたことがないし、襲ったこともない。
で、僕は、ホームレス状態の人一人ひとりの人の事情を聞いて、判断するなんて作業をしたことはないし、するつもりもない。
で、問題が起こっているのか?ということだ。
書いたとおり、少なくとも僕と彼には、問題が起こったことはない。
そんなもんでいいんじゃないのか。
ドロッと行きゃいいんじゃないのか。
単純に二項対立ばかり作り出さずとも、そこそこで、大丈夫じゃないのか。
根拠がなさ過ぎるか?
実体を知らなさ過ぎるか?
そうかもしれない。
だがとりあえず、きわめて一般的であろう、僕の『認識』を述べておくと、そんなモンである。
何らかの参考にドゾ。

余談。

今回、最初ホームレスって書いて、途中からホームレスの人になって、最後のほうはホームレス状態の人になった。
どれがポリティカリーコレクトなんだろうね。
自分では、どんどん柔らかい呼び方になっていったなーと。
家のない状態の人=ホームレス状態の人ってのは、状況を端的に表しているだけの表記なので、まったく差別的なニュアンスが聴こえてこない。
そんな僕の耳は、おかしいのかもしれないけれど。


散文(批評随筆小説等) ホームレス状態の人のこととか Copyright 真島正人 2010-04-09 03:52:59
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