フレンチスリーブ
ゆうと



春って、五感をなくしても、わかるような気がするって、
ずっと前から思っているけど、
ほんとうに、まぶしいんだ。
いたるところで生命がうまれてる。
みえるところでも、みえないところでも、
あたらしくはじまっている。
使い古しの繰り返し なのだけど、
なにかが減っていったり、なにかが増えていったりしている。
君の二の腕の脂肪かなんかが、それを象徴していて、
去年の君のほうが細かったとか、夏のほうが黒かったとか、
使い古しの繰り返し の皮膚なのだけど、あたらしくなっている。
ボディソープを変えたら、いつかブリキの肌になるかもしれない。
世の中がそういうふうに動いたら、僕ら必要なくなっちゃうかもしれない。
それでも春にうまれてくるのは、ただつまんないものだけじゃないんだ。
タンポポのわたげみたいに、遠いところから、
おもしろいものとか、ふしぎなものを、はこんできたりする。
だから風が強いんじゃないかな。
そうじゃなかったら強い風なんて、まるで意味がないもの。
僕にとって春は、
まぶたを閉じていても、ぱちぱち音がしているように、
不安と希望が飛び交っていて、
あたらしい憂鬱が、きらきらとはじけてる。
なんていうかそういう感じ。
絶望的なのにみんな笑っていて、残酷なのにうつくしい。
なんていうか、そういう感じで、桜は咲いて、散っていくのが、僕にはわかる。
桜はやっぱりピンクなんだって、曇った日のほうがよくわかるように、
そういうところが、他とはちがう、春なんだなって思うんだ。





散文(批評随筆小説等) フレンチスリーブ Copyright ゆうと 2010-04-08 17:29:58
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