ANOTHER GREEN WORLD
カワグチタケシ
*
目覚めると音のない世界
カーテンの隙間から灰色の光が射している
明けていくカーテン越しの光のなかで
青磁の肌が鈍く輝く
この部屋はこんなふうに朝を迎えるんだね。
僕は君を置き去りにしてこの部屋を出ていく
中野区上高田三丁目からJR中央線東中野駅まで
下り坂があり上り坂がある
部活の朝練に急ぐ制服や
真珠の首飾りをつけた喪服を
追い越しながら 坂を下り坂を上る
そして中央線の上にかかる陸橋を越え
市街地から戦闘地域に入っていく
朝の市街地から誰もいない戦闘地域へ
**
誰もいない早朝の戦闘地域に
丁寧に整列させられた幾千もの死体
靴を履かない死体が
身長順に並べられている
左足のある者には左足の裏に
左足のない者にはなるべく左足に近い場所に
十四桁の社会保障番号が
油性マジックで書かれている
ひとしなみ幹線道路に向けられた足の裏の
十四桁の社会保障番号を
横目で見ながら僕は通り過ぎていく
遠くからマーチングバンドが演奏する
雨に唄えば、が聞えてくる
でも、ここには雨は降らないよ
***
サンキューここがバグダッド
港区麻布十番バグダッド・カフェ
聾唖のジャグラーがサーヴする
ギネスビールと殻付ピーナッツ
実存主義的ジンジャーエール
ラジカセからエゴ・ラッピンが
爆音で奏でる草原のブルーズ
ビートニク、そしてジンジャーエール
サンキューこれがノンフィクション
世田谷区北沢二丁目から京王井の頭線下北沢駅まで
ミスドの角からマサコの脇を抜け
陸橋を渡り踏み切りを待つ
待ちきれず地下道を通り
市街地から戦闘地域へと入っていく
****
目を閉じると浮かび上がる景色がある
四月のノースリーブ タトゥー 腐乱 オリーブ アーモンド
初夏の日差しに輝く運河に架かる
橋を渡って君に会いに行く
男の死体に話しかけてみる
四月は残酷極まる月だな。
男の死体が答える
ここじゃ四月なんて十月とたいして変わんないぜ。
僕はなにかを思い出そうとしていた
なにを思い出そうとしていたのか思い出せない
ただなにかを思い出そうとしていた
感触だけがはっきりと残っている
水槽が切り取られ宙に浮かぶ海だとしたら
缶ビールとは切り取られて宙に浮かぶ醸造槽だ
*****
僕らはそれぞれの場所で
それぞれに目覚める
だから君に追いつくことはない
たとえ自転の速さで走ったとしても
僕らには結局のところ
期待したような偶然が起こりそうな
場所に出かけていって期待したような
偶然が起きるのを待つことぐらいしかできない
薄暗いバスの車内で受信する電波が
僕らの親密なことばをさえぎる
僕らの親密な会話をさえぎる
よく磨かれたガラスの向うには
明るい時間が流れている
ホームに流れる速度が僕らの距離を引き裂く
******
君はかつて暖炉のあるレストランで
食事をしながら
森の中に入っていく話を
僕にしてくれたね
バグダッド・カフェでは
ポロシャツに防弾チョッキ型の
汗染みをつけた男が
ブルーズの煙の向うで缶ビールを開けている
君もやがて美しい妻となり
美しい妊婦となり
美しい母になるだろう
この世界では死んだ者たちだけがいつまでも
美しく死につづけ
生きている者たちだけが生きつづけている
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日なたの読書を中断して部屋に入ったとき
世界は緑色に見えるだろう
アナザー・グリーン・ワールド
書物から現実に戻ってくるとはそういうことだ
外壁だけできたビルのすりガラスに
内装工事をする男たちの働く姿が映る
フリーウェイを飛ばすカーラジオからダイアナ・ロス
恋はあせらず、ガソリンに注意せよ
なぜ木の葉は揺れるのか
そんなことを考えながら
意識だけが照葉樹林に入っていく
木漏れ日のなかで
君に会いたかった
会いたいんだ君に もういちど
********
速度は力だ
僕はつよくそう思う
小さな金属の破片が皮膚を裂き
骨を砕き
内臓に突き刺さる様を感じる
まず左腕に
そして脇腹に
つよくそう感じる
長い時間をかけて化学物質が
体内に蓄積されていくのを
感じる つよくそう感じる
その家の前には潮風のしみこんだ螺旋階段が戸口に通じていて
馬車の灯を模した軒灯がポーチを照らしていた
僕は運河を渡って君に会いに行こう
*********
アナザー・グリーン・ワールド
我々が最も恐れるべきことは
痛みを伴わない出血だ そして
見えないところで夢は閉じられていく
その怒りを憎しみを忘れるために
あるいは忘れないために
我々は何をすべきか そして
見えないところで夢は閉じられていく
彼らは二千年のあいだ
終わらない夏のなかで
ときどき眠れぬ夜を過ごす
アナザー・グリーン・ワールド
僕は君に会いに行く 今から
僕が君に会いに行く
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Inco Saito, Suika, T.S.Eliot, R.Chandler & B.Eno