毒婦の系譜
salco

世の中男ばかりが悪事を働くと思っていたら、林真須美以来の悪党が
久々に登場とあり、被害者には悪いが、マスコミのヒマ潰しの感があ
った「のりピーネタ」が夜のニュースから一掃されて、私としては喜
ばしい限りだった。
えらく太りじしな縦巻きロールのこの女は男から金を巻き上げた詐欺
容疑で逮捕され、いまだに司法当局を手こずらせているようで、便宜
的に「35歳(34歳もとい)の女」と呼ばれており、公共の電波で
は顔が不分明ながら、笑う口許が何やら山口もえに似ていないでもな
い。
とんかつにも似た「婚活」という、胃液に訴える言葉が流行するほど
巷に女があぶれ、くすんだフェイスと簾の立ったボディーの納めどこ
ろ探しに躍起になっていると話題を提供する折も折、しかしスポーツ
紙に掲載の顔写真は高校生時代とは言え何とも垢ぬけない、こんなラ
ードのマレー熊みたいな生き物に籠絡されねばならぬほど家庭に飢え
ている男が実は多いのかと驚いた次第であった。このにくにくした体
格で相手の垂涎を誘い、空振りさせたのだとしたら、結婚詐欺より肉
感詐欺とでも言う方が妥当な気もする。

この女の周囲で4人もの男が死んでいる。結婚をエサに100万単位
の金を「寸借」しては睡眠薬と練炭で精算したらしいこの女にとって
は、どんな人間ものちのち貸付金の返済を迫って来る厄介なキャッシ
ング・マシーンに過ぎなかったのだろう。
誰しもエゴを優先できれば望ましいし、実際、他人の心情などにかま
けてはいられない。穏便に生活して行こうと思えば、社会という、利
害の思惑で編まれた網の目からこぼれ落ちぬよう自分を支えるので精
一杯の毎日だ。
相手を見損なったか自分を見誤ったかで若気の至りに至り損なった女
達は、今日に至って婚姻という人身売買の競りにおのれを掛ける時、
もはや高望みはしない。王侯暮らしには値せぬ女が股を開いて得るに
そこそこの生活程度でお手打ちにする。一顧だにされぬ老婆となり道
に佇む姿を、失語症カサンドラの更なる後方に見るからである。これ
が人生の幸福論というものだ。
しかし他者を騙し、あまつさえ殺して得たその金で家賃を払い外車に
乗り愛玩犬を飼い、ケリーを買い高級料理をひねもす食らう当座暮ら
しを繋いで来たこの女の心には、ヒトとモノとの恐るべき価値の逆転
現象をしか見出せない。

千葉県野田市の80歳やリサイクルショップ経営の還暦近辺はともか
く、この女にも細々と生き血を吸ってそこそこの贅沢に与るチャンス
はあったのだ。殊に千代田区に実家を持つという、プラモオタクの
40男などは格好のカモだったろう。しかしそのような寄生が最終目
的でない以上、この女には打算も妥協も働く余地は一切なかったのだ。
安直な同衾を手段にせず、男など消費材に過ぎぬとばかりばっさばっさ
と斬り捨てた、この唯我独尊・即決即断は爽快でさえあるにせよ、犯行
動機には残念ながらそのような思想的大義は最初から存在しなかった。
見えすいた金の無心にホイホイ応じるマヌケ男の人口密度と心理に着目
し利用する、本質的にこれは老人を標的にした振込め詐欺と変わらない。
その示すところは浅ましい利己でしかなく、尚も人命まで殺めることに
一切の躊躇がない。単にオレオレ連中より数段悪辣というよりは、価値
の相対化の欠如が怪物的である。
「交際」という、よんどころなき手法により必然的に面もメールアドレ
スも割れてしまっている、ハイリスクな詐欺のこととて口塞ぎが欠かせ
ない作業であったにせよ、その心理的背景に在る動機の組成、つまり欲
望の文脈が甚だしく希薄に思えるのだ。
性格的には傲慢と言う外ない。しかし内面を流れる思考にどろどろした
論理がない。一見いじらしいほどの羨望で包み隠された欲望の本態が、
殺人という生々しい最終的解決に釣り合わないほどファンシーな獲得品
を目的としているせいなのか、実に淡彩なのだ。パステルカラーの殺人
鬼と言ってよいかも知れない。

奇しくも同時期、同様の手法で殺人を重ねた鳥取の女が逮捕されたが、
5人もの子を生し貧困にまみれていたのであろう境涯と異なり、こち
らには低劣な成育歴も汚わいへの転落事実も見出せない。労働するなり、
気にそまぬ相手に目をつむるなり、いくらでも選択肢のあったこの女に
は、ただ数千円の日銭を手に入れる為に殺しをやるタクシー強盗などの
短絡性、刹那性に比較しても、自堕落が招く身辺の淀みや野卑な人間性
から匂う呪詛が感じられない。
まるで工業製品の反映でしかないショーウィンドウの陳列にも似て、極
めて些末な価値の絶対化に基づく規範に則り粛々とおのれの行動を方向
づけていただけで、この女に内在するのは知能犯の狡知というより寧ろ、
ぞっとするほど鈍重な空漠なのではないだろうか。
自分にとっては有象無象でしかない金づるを面倒嫌さに殺したという以
前に、自己満足の尺度が極めて幼稚であって、モノは所詮モノでしかな
い、その事にさえ気づいていないようなのだ。動機について言えば、
「理想的生活を営むための厳格な設定基準を満たす物資の導入」なのだ
ろうが、そこにさえほんわかした夢想の喜びをしか私は感じ取ることが
できない。

この猫かぶり女にはネット上で他者を誹謗中傷するという側面があった
らしいが、強固なエゴの中でファンタジーの構築に生きていたこの女は、
他者によって感情を揺さぶられるということは最早なく、激することで
損なわれる神経もまた有さなかったのではなかろうか。だから殺人など
眼中の出来事でなかったと言えないだろうか。
この女の病理は人格でも現実認知に在るのでもなく、自己の絶対化をモ
ノのプライオリティーで代償した、その思想だろう。
それは所有欲を自己消費で相対化する援交少女の代償行為と真逆の論理
であり、と言うことは、一見タニマチ的、情婦的な生活援助を相手に請
いながらも、実は淫売を買い女を犯す男と同一の基本理念、機能的権力
行使に立脚しているわけである。
尚もこの女は自らを商品化して利益を得る際に労作を提供するのではな
く、資本論がいうところの資本家の立場を取りながら、一切の対価を支
払わなかったのだ。これを労働搾取と言わずして何と言おう。

してみればこの女の自己像は女王、即ち陽物なき覇者だったのだろう。
女王陛下にあてがわれた男は夫君という称号を与えられた種馬でしかな
く、突っ込めど突っ込めど、孕ませ産ませど彼女を妻君や母親に貶める
ことができぬ、王権の分与なき一介の臣下として終始するのは英国のフ
ィリップ殿下を見るまでもない。よってここには一般の毒婦沙汰にはな
い、加害者と被害者の性逆転が現われているのだ。
疑いを知らず恣にされる男達は愚かで可憐な処女であり、消費された後
は大人しく屍となる。親族は悲嘆に暮れるだろうが、巷間にとってはそ
の非力さ、愚かさゆえに一場の艶笑譚でしかない。かてて加えてこの性
犯罪の加害者は生物学的には女であり、充足は金銭の獲得に在り、その
力学は強姦でなく虚言で行使されている(殺人行為そのものは暴力に他
ならないが)。
死屍累々の現場には精液も血痕も索状痕もないとすれば、一酸化炭素で
穏便な終止符を打つ、この大型アンチ・ヒロインに内心で快哉を叫ぶ女
性は決して少なくない筈である(女中よりも姫様・女王様役が少女の切
望というものだ)。
かくして相手を幸せにすることで自分も幸せになり有限の時を送るとい
う共生の幸福を夢見、見方を変えれば女日照りの焦操のあまりにテもな
く騙され、虫けらの如く薫燻された可哀相な犠牲者達の善性にさしたる
憐憫の情は湧かないにせよ、しかし呵責を知らぬ殺意より寧ろ、この
35歳女のあまりにも空っぽな価値観には戦慄を覚えるのだ。

阿部定の犯罪が美しいのは、性豪旦那(雇用主)への愛着のあまりディ
ルドにもならぬスーヴェニアを切除した、その愚かしくもいじらしい情
緒の普遍性ゆえである。社会的には無学な労働者階級の日蔭者であり、
父権制度の徒花的ニンフォマニアに過ぎない彼女は、愛憎こもごもの男
根切断願望が常に潜在する女にとって非常に理解しやすく、社会的には
何とか男に伍し得るという一時的錯覚が許され、一方ではインターネッ
トという公共性と匿名性が抱き合わせになった密室で性交暴露が氾濫す
る現代に於いては、先駆的でさえあった。
同じく欲望の表現のみに従事しながら、それとは全く対照的に、今回の
女にはこのような人間的、性的抒情は存在しない。
一体、何の為にこのウワバミのような女は生まれて来、生き、また自覚
的に生きようとするのか、それがさっぱりわからないのだ。一見俗っぽく
ありながら病理的に空宙浮遊しているような、つかみ所のなさという意味
では、ミス・エンプティー・ダンプティーとでも呼ぶべき、稀有に寓話的
な女ではある。もしかしたら酒鬼薔薇くん同様この女も世代的かつ同時代
的突出箇所であって、程度の差こそあれ、このような人物は案外と世の中
に多いのかも知れない。
情緒という、一見は演歌にも似て滑稽に見えがちな感情的思考の綾が欠落
した人間が増加している、これがその暗示なのだとすれば、実は恐ろしい
ことが起こりつつあるのに違いない。


散文(批評随筆小説等) 毒婦の系譜 Copyright salco 2010-02-26 21:15:36
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