子供たちの世界
真島正人


    ここにつづられている出来事、名前、心情の一切は嘘であり、時間関係も、もち    ろんのごとく、事実に該当しないので、よろしく。

言葉で表現をしようとすると、たいていの物事は絵空事になり、僕はそのたびにため息をついた。僕が『美しい言葉』をノートに書き溜めていたのは中学生の頃だが、高校生になったら総理大臣が『美しい国』とほざいているのをテレビで見て、吐き気を催したので、僕の『美しい言葉』をつづったノートは引っ張り出してきて庭で焼いた。他人が似たようなことを言っているのを見ると、自分の行為が恥ずかしくなるものなのだ。それにしても、僕はとにかく腹を立てやすくなっていて、高校生の頃は3回停学になりもうちょっとで退学させられるところだったが、逆に大学にはいると内省的になり本ばかり読んでいた。本ばかり読んでいたが、酒ばかり飲んでいたともいえるのであって、酒に飲まれながら読んでしまう本の内容は何一つ頭に入ってはこない。僕は遅れてやってきた文学青年を自負して、おかげですっかりと痩せ細ってしまった。アドルノも、ブレヒトもいまだに僕には何一つとしてわからない。ただ、それらについて考えるだけで僕の身の毛はよだつようだ。僕は、哲学についてなんら理解できないし、それを理解したいとも鼻から思わず、ただ単に『ヘーゲルを援用して』とか『カントによると』とか言いたいだけだったので、哲学めいた言葉だけがぞろぞろと並べられた映画を撮ろうよと、放送部の連中をそそのかして、30分ほどの映画の撮影に挑んだ。僕が映画研究会ではなく放送部の連中をそそのかしたのは、もちろんのこと、本格的議論を避けたいがためであり、そんな状態で撮影した映画など、ろくな作品であるはずがない。ちなみにその一年後にテレビで今度は、涼宮ハルヒの憂鬱という番組が始まり、その中でヒロインが同じようなことをやっているので、僕は微妙な気持ちになった。以下、当時のシナリオからの採録、といきたいところなのだが、当時のシナリオを捨ててしまったのか見当たらないので、当時のことを思い出し、僕たちの受難をここに伝える。

僕:いや、あのね、大塚君、そうじゃなくってだね、シナリオってのには抽象性が必要なんだよ、わかるかな、わかんねーだろ、君さ、馬鹿みたいにロックばっか聴いてんだから、頭の中が単調になっているんだよ。単調。ビートが決まっちまってるんだよ、だからよ、シナリオってのは、ちょっとぐらい難解なほうがいいんだ、あほな観客が、『なんじゃこら』って欠伸するぐらいのほうが高級なわけ。
大塚君:はぁ。でも、宮部さん、あの、俺、映画とかもあんまり見ないからわかんないんすけど、具体的にこのシナリオって楽しくないじゃないっすか。いや、先輩に対してこんなの言うのもなんだし、いっつも一杯CD貸してもらってて、アレなんすけど、俺、俺の言う台詞の部分の必要性が感じられないんすよ。
僕:馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿。もひとつ馬鹿。具体例か、いいぜ、具体例挙げてやるよ。例えば、お前さぁ、チェーホフの『荒地』って読んだことあるか?ないだろ、なぁ、ないんだろ、ないっていえよ。いやいや、全然怒ってないんだけどさ、あれなんていい例だよ。なんだかよくわかんないんだけど、馬車が荒地を走っていくわけよ。その間ずっと、いろんな考え事をするだけの小説なんだ(と、思う、俺の記憶では。そんなんだったとどこかで聴いた。実は読んだことないんだが、まぁ、面倒で読む気にもならんが、ここで例に出したってどうせ大塚にゃバレないよな)。それでも、それを読んでいると、読み手はなんだか不思議なことになって来るんだ。『あれれ、これってなんだろう、ただ単にこれだけなのかな、なんだか、重要なことが本当は語られてるんじゃないの?』って。それは錯覚なんだ。でも、その錯覚が重要なんだ。錯覚。周辺だけを語って、中心点が空洞であるってのは、非常に重要な手法なんだ。
大塚君:(一切悪気のない感じで)はぁ。でも、この宮部さんのシナリオって、宮部さんが書いたものなんだから、チェーホフじゃないですよね。
僕:(無言。頭は沸騰寸前である)

そんな僕たちを、いまだ回されていない安物の手持ちカメラが見ている。見ている。見ている。

僕にちょっと気のある(希望的観測)後輩女子:ね、ちょっと休憩しようよ。正直こんなんじゃ進まないから。
大塚君:あ、そうだね、園田さん、テラスでも行かない?外の風吸おうよ、俺、缶ジュースぐらいならおごるから。宮部さんも。
僕:(深くため息)
 
僕は急な思いつきで、参考になる映画を見に行く会を提案し、適当に見繕った結果、郊外のボロ劇場で再上映を朝一番で一回だけやっているアンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』を見に行く。大塚、案の定開始30分ほどで寝ている。園田、誘ったのに来ない。僕。適当に選んだ割に意外に気に入って、食い入るように画面を見つめる。なんだか水があふれている。水があふれている。僕の心もせりあがっていく。僕は漂白されていく。僕は打ちのめされていく。僕はボコボコに殴られる。僕はぺしゃんこにつぶされる。僕のつぶれてひしゃげた体から大量の水が噴き出す!

僕:いや、すごかった。
大塚君:つまんなかったっすよ。
僕:お前寝てただろ。見てないからだよ。
大塚君:なんか、宗教的な主題だったじゃないっすか。俺、宗教って嫌いなんですよね。だから見る気を起こさなくなっちゃって。

僕にはその映画が宗教について語っていたのかは、一切関係がなくて、ただその映画の水浸しの風景がとても心を打ったのだ、それだけなのだ、やはり僕は、自分の口からつむぎ出た言葉のとおり、『周辺にしか』圧倒されない。主題以外のモチーフ。ただのあふれる水。

真夜中になり、周辺がぼぉっとしてくると、僕はいつの間にか一人になっていた。足取りも軽くどこかに消えていった大塚は平均値のような幸せを纏っている。僕はただ、前かがみになり呼吸をしているだけで、いったい自分の何が自分を不幸せにしているのか、よくわからなくて、わからなすぎて心臓がバクバクとする。僕の父親は、「毎日心臓がバクバクする」と言った。僕が寝たことのある年上の女も「毎日心臓がバクバクする」と言った。僕の祖父は心臓の手術をして、それからなぜだか歩けなくなった。僕はやっと人並みの心臓を手に入れ、それがためにこんなにも『バクバクとする』。僕は、あごを何気なく撫で、無精ひげの感触を味わい、周辺を見渡すと、そこは道路間際の歩道だ。いく台も、真夜中のタクシーが、道路を走っていく。郊外だから、タクシーが多いのだ。だが、こんなに多いのは珍しい。僕は学生時代、よく飲んで、飲みすぎて終電を逃しタクシーで帰る羽目になり、財布をすっからかんにしたものだが、いつもタクシーを捜すのに苦労した。僕は、ぐるぐると体を回し、カメラを探した。僕の安い手持ちカメラ。それはどこかから僕を待っている、僕の撮影が始まるのを、いまだ待っている。僕は、あの映画に、大塚の要望を取り入れて、ちゃんと、『渚のボードウォーク』を主題歌に使ってやるつもりだった。難解な映画に、ドゥーワップは似合わない、だが、それぐらいの優しさは持ち合わせている。ドゥーワ、ッワ。ッワ。僕は、口を小さく広げ、そんな音をつぶやき、唐突に怖くなって。

声の限りに叫んだ。


自由詩 子供たちの世界 Copyright 真島正人 2010-02-16 02:32:43
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