ジョージのニオイ
あしゅりん

売れないホスト、ジョージが気がかりな夢から覚めると、彼は一体の巨大なマグロになっていた。
ただのマグロならまだいいが、マグロのクサヤになっていた。
ジョージの売りは、漁師の息子として鍛えられたその体。
「体を使ってオンナを落とせ」
「枕ホストになってみろ」
先輩ホストにさんざん言われたが、ジョージはうんとは言わなかった。
「オレは体を売ったりしない。男を売るのが真のホストだ!」
それで売れずに仕事を干され、挙句の果てがマグロのクサヤ。
枕にならずにマグロになった。
異臭ただようクサヤになった。
故郷、八丈島の夢でも見ていたのだろうか。

ジョージの住まいは、マンモスマンション歌舞伎町。
天下に名高い大歓楽街、歌舞伎町にそびえるマンションだ。
異臭がするとの通報で、管理人の僕が部屋を訪ねたが返事がない。
しかたなく合鍵でドアをあけると。

ニオイのかたまりが顔を殴る。
個体になる寸前まで押し固められた褐色のニオイが、のわりと肌をなぶる。
涙と鼻水があふれ、耳鳴りが起こり、口の中にこってりした味が広がる。
決死の覚悟で中を見ると、ベッドには巨大なクサヤの干物。
これがジョージのなれの果て。
虎は死して皮を残すが、ジョージは干されてクサヤになった。

気がつけば、クサヤのニオイは廊下にあふれ、ぬるりねろりとマンションを侵食していく。
ゆっくり降りるニオイと共に、住人の悲鳴と怒号が上から下へ降りていく。
えらい事になった。
これはまるでテロではないか。
あわてる僕の横で、ジョージはどんよりとした目をして横たわっているだけ。
ある意味うらやましい。

「お〜う、ええニオイさせとるのお」
突然のダミ声に振り返ると、ヤクザの宮島親分が覗き込んでいた。
「なんじゃあ、ジョージの奴ぁ、クサヤになってしもうたんかい。ったく手間ぁかけさせる奴じゃのう。
 おう、管理人、そこの窓開けんかい」
「いやしかしここ開けると、ニオイが町じゅうに」
「ごちゃごちゃ言わんと、はよ開けんかい!」
「わかりましたぁ!いま開けます!」
ばーんと開け放った窓から、深夜の雪のようにゆっくりと、クサヤのニオイが夕暮れの歌舞伎町に降ってゆく。
街の喧騒が一瞬やみ、轟音のような叫び声が巻き上がった。
「ああ、どうしようどうしようどうしよう」
そのとき声が聞こえてきた。

クサヤ、クサヤ、クサヤはどこだ
クサヤのニオイだ、クサヤはどこだ
クサヤを食わせろ、わしらに食わせろ
クサヤはどこだ、ク サ ヤ

路地から、ビルから、地下街から、
板前、ポン引き、ママにチイママ、ヤクザ、ホスト、風俗嬢、
その他なんだかわからん人々がこっちに向かって走り来る。
マンションの階段を一気に上り、この部屋に押し寄せたかと思うと、
巨大なクサヤを戸板に乗せて、宮島親分を先頭に波のごとく去っていった。
群集の中で、マグロが切り身にされていくのが遠目に見えた。
ジョージは歌舞伎町に呑み込まれていった。

すべての後始末が済んだ深夜、疲れた体をひきずって自宅に帰りついた。
風呂にも入らずベッドへ倒れこむ。
ジョージは馬鹿だ。
クサヤになんかになるから、あんな大騒ぎになる。
僕はゆっくりと体を伸ばし、今夜も冷凍マグロに変身した。
優しい冷気に身をまかせ、深い眠りに落ちて行くのだ。


自由詩 ジョージのニオイ Copyright あしゅりん 2010-02-13 00:01:23
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