私を殺す
なき

 殺される夢を見た。幼い頃から、形を変えて五度くらい殺されたことがある。夢の印象は強烈だ。それに、夢を見ている間はものすごく必死なので、時間が経っても中々忘ることができない。時折、なんとなく思い出したりする。思い出の中の夢は不思議と怖くはない。
 夢の中で私は、切り立った崖に置いていかれる小さな子どもだったり、スパイとして潜伏し、ヒロインを政府から守る戦うヒーローだったりした。どちらも夢が進んだ先には死が待っていたのだけれど。
 一番恐ろしかったのは、とても広いJRの駅の中を鬼の顔をした人に包丁持って追い掛けられた夢だ。しかも結局包丁では刺されずに、広い駅の長い階段から突き飛ばされて、夢からブラックアウトした。階段を転げ落ちながら「あぁ、これは死ぬな」と考えた。呑気だった。周りにたくさん人がいて、でも誰も振り向いてくれなかったからかも知れない。転げ落ち、意識が薄れていく間、赤い顔の鬼とずっと見つめ合っていた。階段の、上と下で。夢を見ている時は必死だ。いつも、目が覚めてから、ぞぉっとする。

 夢には意味があるのだそうだ。空を自由に飛ぶ=今に満足している、とか。解釈によってまちまちだから正しい答えはわからない。ちなみに誰かを殺した夢。それは不思議なことに、殺した相手は自分なのだそうだ。殺すのも、殺されるのも自分。だとすると、殺されるのも殺すのも自分なのだろうか。ヒーローだった私は、社会的な権力に従う私に殺された。駅の中を逃げ惑う私は、私の中の鬼みたいな部分に殺された、ということかな。あんまり、いい夢でないなぁ、と思う。
 殺された私は、どんな私だったのだろう。私に殺されてしまった私。
 殺した私はどんな気持ちだったのだろう。私を殺した私。
 どちらも私、というのは、酷く不思議だ。でも心のどこかでそのことに当たり前のように納得している私がいる。


散文(批評随筆小説等) 私を殺す Copyright なき 2010-02-05 16:50:50
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