人生の一般的構造
A-29
愛する男のもとを去った女がその後の人生をその男との美しい思い出にすがりながら生きるというような話しがある。
僕などは若い頃にはこれが理解できなかった。男の幸せを願って自らは身を引いてしまう女。自分は男との思い出があればなんとか生きていける。愛する男が幸せをつかみそこねる姿を見るよりは、自分は苦しんでも男の前途を優先させようという女心。そんなものは女性特有の欺瞞ではないかと思っていた。あるいは低俗な女性観のひとつかと。
しかし歳とともに「思い出に生きる」ということが日常化してみると、別に女でなくとも、思い出に寄り添いながら生きるということは大いにありうることと実感するようになってきた。
成就するしないにかかわりなく、全身全霊を傾けた恋愛を経験することは、晩年の人生にとって強い拠りどころとなることは間違いないだろう。たとえ現実的な孤独を抱えていても、なんとか生きて行ける気がする。過去を生きるに過ぎないとしても。
「純愛」「熱愛」「悲恋」。そういったものが「特殊」か「一般」かはよくわからないが、50年生きてみると人生に一般的な「構造」があるように思えてきた。人はこの構造において泣いたり笑ったり死んだり生きたりしているような感じが…。
なにをゆうとるのか、ワシ。
ともあれ、五十にもなれば思い出に生き出すのは一般的傾向であろう。