抱える
相田 九龍

花瓶を洗面所まで持っていく。
中の水を排水口にゆっくりと垂らす。幾分大きな花瓶のためどうして水を汲もうかと逡巡したのち病院の外の水道を探しに行く。消毒の効いた洗面台が花びらの一枚一枚を枯らすかもしれない。
裏から出ると、謳う、宇宙まで続く青空が広がり、それを享受する緑が出迎えた。彼女は窓べりからこちらを見ている。手を振り返す。彼女の手相はとても薄い。花びらが一枚、ひらりと落ちる。

売店の店員さんは大きな花瓶に戸惑ったが事情を説明すると少し微笑んで了解をくれた。ホースから水を入れる途中、誰かに言い訳をしなくては、と思った。でも今まで誰も責めなかったし、この先も責められない気がした。入れ過ぎた水を少し流して、もと来た方へ戻る。
空気はひやりとしている。



*  *  *



病院からの帰り、寄り道をしながら家族のことを考えた。抱えた鞄には着替えが詰まっている。橙に染まった公園、景色が揺れた。記憶と未来の間で、私は泣いた。どこかで花びらが一枚落ちた。

涙はすぐに止まった。そこに居たいだけ居たかった。陽は落ち切って私は帰らなきゃいけない。しかし一歩を踏み出すごとに歩いていることを忘れた。視界が歪んで、立ち止まったが何も変わらなかった。何も変わらない現実が何も変わらなかった。
後ろを振り返ると私がたくさんいた。たくさんの私が涙を枯らしてもまだ泣き足りない顔をしていた。その中に鞄を抱えている私がいたと思ったら、それは私だった。やはり涙を枯らしてまだ泣き足りない顔をしていた。いつの間にかひとりだった。私はいつもひとりだった。
鞄を地面に叩きつけた。砂埃がたって、砂を風が連れ去ってたくさんの旅が始まった。最後の一滴が落ちた。鞄は重そうにへしゃげている。私のようじゃないか。


自由詩 抱える Copyright 相田 九龍 2010-01-17 01:23:02
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