明るい憂鬱
靜ト
明るい憂鬱だなあ
と思った
だってテーブルには甘すぎるオレンジジュースと食パンと先先週の週刊誌がのっていて、汚い、ほうけた日常があるだけで
わたしはその横に座り、強く胸を押さえ、苦しみに堪えているんだけれど
視線の先にあるのは
爆発、破壊、憤る大人、泣くこども、走る男、銃声、悲鳴
ただし画面の向こう側だ
涙を流している
しかしこれは同情なのだろう
だってわたしは何もしていない、しようとしない
今も、明日も
テレビを切ってしまえばそれっきりだ
わたしは平和を手に入れる
涙はすぐに渇くし
友人から電話がきて誘われたら、くだらない話をして盛り上がるのだろう
明るい憂鬱だ
わたしは時々それを思ってぞっとする
人が把握できる悲しみ、本当の悲しみの範囲はこんなにも狭いのかと
わたしはどこまで関与したらいいのだろう
どこまで関与することができたら、冷酷でないのだろう
そして、恐れているのは誰かの不幸に自分が冷酷なことでなく、自分の不幸にも同じように誰かが冷酷だろうことかもしれないと、苦悩している