俺はポエムが嫌いだ。ポエムと言う単語が嫌いだ。何のセンスも無い、ダサいとしか良いようが無いこの英単語が嫌いだ。そしてそう呼ばれても仕方が無いような作品が嫌いだ。何が嫌いって、ボクとかキミとかカタカナで表記されている作品が嫌いだ。ちらっと見ただけで寒気がするし、それが半角だったりすると虫酸が走る。俺はボクの事は知らんし、ボクがスキなキミの事も知らん。カタカナ語以外の言葉にカタカナが当てられるのが気に喰わんのだ。何故かは知らん。このサイトにそういう詩が多いとは言わん。あるにはあるが、そんな作品は読まん。俺はダメな映画をわざわざ見て駄目出しするような当たり屋みたいな奴だが、詩に関して言えばそうでは無い。俺が詩に何を求めているのかは、俺自身わからない。その時の気分とか、状況とか様々なものに左右されると思うが、これと言って何かを求めている訳じゃないのかも知れない。(※お前もポエム書くじゃねーか、と言う批判はこの際聞かない事にする。
別に詩に限った事じゃないが、絵画であれ音楽であれ映画であれ、俺と言う人間のスタンスは基本的に「知らんよ、そんな事」なのだ。理由は色々ある。言ってる事がわからない、単純に面白く無い(笑い所が無い)、興味が持てない、理解出来ない、等である。君の世界をそんなに自慢げに披露されても、俺は知らんよ君の世界なんぞ、と思うのだ。俺の詩や他の作品を読んだり見たりする人間の中にも、そう思う人はいるだろう。ブログを読むのと大差無いんじゃないだろうか。少なくとも俺はそう思っている。知らんよ、君の世界とか日常とか思想とか色々あるみたいだけど。俺にゃわからん。
読者に媚びて、彼らに共感が持てるような作品が良いと言っている訳じゃない。意味がわからなくても面白い(笑える)のならいいと思うし、訳がわからなくても興味が持てる内容であれば良いと思う。「知らんよ、そんな事」と言うラインと「面白い」のラインは非常に曖昧であって、俺の様なボンクラが満足するような作品は稀である。更に俺はあまり他人の詩を読まないので、出会いそのものが少ない。一重に俺の所為でしか無いのだが、面白いタイトルじゃないと読む気がしないと言うのは我が侭だろうか?ダラダラと溢れるように並ぶ詩の中で、「なんじゃこりゃ」と思う、思わず目が止まる様なタイトルが欲しい。そこで始めて、「知らんがな」と言うラインを超えて、俺の興味を引き、そっちの世界(作者の世界)へと足を踏み入れる事になるのだ。別にタイトルが詩の全てでは無いが、詩の顔なのだ。人の見た目は9割だが、詩の5割はタイトルだと思っている。
その興味深いタイトルをクリックして、中身を読んだ瞬間から作者と読者の攻防戦が始まる。作者の「どうよこの世界観、どうよこの世界、どうよこの感じ」に対して、俺の「知らんよそんなもの」が挑むのだ。俺が「なるほどね」と思えば負けだし、最後まで「知らん」と思えば作者の負けだ。お互い実に暴力的な姿勢だと思うが、作品なんぞそんなものだろう。別に崇高でも神聖でも何でも無い、恐らく何の役にも立たない無用の長物なのだ。詩に限らず、芸術全般そうであろう。ジェットコースターみたいに、一時の快楽は得られても目的地には着かないし、ジャンクフードみたいに、美味しくても腹持ちも栄養もイマイチであると思うのだ。
別に君等の世界とかに対して否定的なスタンスを取っている訳じゃない。ただ、俺は知らんと言うだけだ。君等の世界が違うとも言わんし、狂ってるとも言わん。だってそれが君の世界なんだろ?俺にはわからんが、君にそう見えるのなら、そうなんだろう、と思うだけなのだ。俺は世界が歪んで見えた事は無いし、狂って見えた事も無い。ただそれだけなのだ。
その俺が今回、この批評祭に参加するにあたって選んだ詩は、俺が好きな詩でポイントが少ないものと、極端に多いものと決めていた。極端に多いものは、昨年の一位の詩を選ぶ事にした。何故かはわからん、気分でしかない。昨年ポイント数一位の詩はこれである。
うさこ、戦う/最果タヒ
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=178483
この作品の中では、学校は「沈められるべき存在」であり「水族館」であるようだ。俺にとって学校は沈むべき存在では無かったし、水族館でも無かった。何故、作者にとって学校は沈むべき存在であったのか、水族館であったのかは知らん。作中で語られているようには見えん。いや、沈むべき存在である学校だとか、水族館っぽい、と言う以前に、この詩が全く理解出来んのだ。兵士です、と叫ぶクラスメイトに消しゴムを貸す意味も、そいつの二世になる意味も、やってくるらしいアポロと言う人物も知らんし、その後の事なんざ聞いてないし知らないし、俺はゴジラに勝てない。最初の半分が俺にはどうしたって理解出来ん。水族館、みたいな表現はわからんでもないが、兵士ですと叫ぶ君に消しゴムを貸すのはボケなのかマジなのかもわからん。残念ながら同級生である以上、君の二世には慣れんと思うし、アポロと言う人物で該当するのはロッキーが戦った黒人ボクサーくらいである。アポロは君を連れていかないだろうし、あのお菓子だって君を連れて行く事は出来ない。あのお菓子のアポロが何を暗喩してるかも理解出来ない俺の頭脳が間抜けなのかも知れない。何回読んでも理解出来ないのだから。
後半半分の冒頭、おそらく作者の話を聞いている人の事だろう。まさに俺の気持ちと同じだ。「左手でたたいた人がある日とつぜん破裂をしたりとか、そんなことを想像すると毎日つらい気持ちになるね。知らない女性がいきなり訪れあなたのせいで彼は死んだとか言われたらどうするよとマクドナルドでストローを割る。」いや、知らんし!(笑)、である。そんな事は君の中にしまっておけばいい事で、他人に言うべき事じゃなかろう。ブログならまだしも、そんな訳のわからん妄想じみた突拍子の無い事を言われても、「知らんし!」としか言えん。だのに「いやしらないよ、ないよそんなことと答えるきみはいいね。寝ているまにブランコにのせられ往復し、そしてまたベッドにもどされているとは知らないんだろう。」と、何か上から目線なのか何なのか、羨ましがられる始末である。馬鹿にされてんのか、本気で羨ましがられているのか何なのかわからんが、君は寝ている間にブランコに乗せられて往復してベッドに戻されている事を知っているのか、と。じゃあ人が破裂するとかより重要っぽいその話をしてくれよ、と思うのだが、それも特に語られない。ここら辺も俺には理解出来んのだ。
そしてビーム。ビームですよビーム。ボンクラなら誰だって一度は思っただろう、手から指からビームでないかな、と。でも残念ながら人間は手からビームが出せんのだ。でも語り手はビームが出るんだそうだ。きっと君は人間じゃない。俺もそう思うよ、よう知らんけど君の事。ビームが出るのは羨ましいが、ビームが出るなら出るなりの苦悩があるのだろう。君が死んで一杯いっぱいになるメールボックスに気づける自信は微塵も無い。良いゴジラか悪いゴジラかは俺も知らん。ただ君は街を人間を守ってくれてるんだろう。俺の知らん所で。君の暴力(ビーム?)に俺の名前がついたらしい。名誉かも知れんが、愛かどうかは知らん。知らんよ、好きにしてくれ。
もう俺の理解の範疇なんぞ余裕で飛び越えて、何がなんやらちーっともわからんのだ。そうか、うさこ戦ってるのかー偉いねー頑張ってるねー、ありがとう、くらいにしか思えんのだが、去年一位となると共感者だとか面白いと思った人が多いのだろう。やはり理解出来ぬ俺の頭脳ば間抜けなのか、余程のボンクラなのか、その両方なのかも知れない。そっかー、そういう世界なのかー、とは思うが俺の見える世界や思い描く世界にはほど遠く感じられる。この作品はポエムじゃないと思う。だが理解は出来ぬ。ようわからん。ただ間違いなくジャンクフードであり、ジェットコースター(はたまたブランコ)である事は間違いないだろう。惹かれるタイトルである。なにせ、うさこが戦うのだから。何で戦うって?ゴジラだよゴジラ。昭和か平成か知らんが、ゴジラと戦うんだよ。しかもビームで。人の名前がついたビームで戦うんだってさ。このB級映画みたいなノリは嫌いじゃないが、俺にはちっとも理解出来なかった。最後まで、「知らんよ」としか言えなかった作品である。そうじゃない日が無いかと、ここ数日に渡って何度か読み返したが、何回読んでも「知らんなぁ」としか思わなかった。
ここまでくると、俺が低能とか無知であるとか以前に、ただ単に性格の悪いアホなボンクラでしか無いような気がしてきたので、筆を置こうと思う。