【批評祭参加作品】詩人は、ことばだけで勝負するんだ!?
角田寿星


ぼくは4〜5年前に、馬野幹くんが以前主催してた朗読会で、映像で流してくれたのを観たんですが、平成3年、蜷川幸雄さんの演出で、当代一流の詩人たちによる屋外朗読会があって、それをNHKが特集で放送したことがあるんですね。残念ながら一回こっきりで終わっちゃったぽいんですが、亡くなった方々の在りし日の姿もうかがえて、刺戟的な映像でした。それきり観てないのでいくつかの記憶違いは絶対にあるんですが、なにとぞご容赦を。


谷川俊太郎さんはいつもどおり淡々と、ちいさな女の子が主人公の、易しめのことばの詩を朗読。朗読用にこの詩を選びました、という印象。田村隆一さんは『木』を朗読。たしか観客席から木の傍まで歩みながら朗読したっけか。ねじめ正一さんのような人はいたかもしれませんが、んで何か早口で喋ってたような気もするんですが、ほとんど記憶に残ってない。

すごかったのが吉原幸子さんでした。比較的若くしてパーキンソン病に侵されて、闘病の末に最後は車椅子生活になって惜しまれつつ亡くなられた、かの人。細身の身体を折り曲げながら、腹の底というより、心の底から絞り出すようなことばの数々は、彼女の硬質の詩篇と相性もバッチリで、ぼくの心に確かに楔を打ち込みました。ぼくらは「惜しい人を亡くしたねえ」と口々に言い合いました。
驚いたのが石垣りんさん。彼女の詩の朗読なんてイメージが湧かなかったんですが、非常に端正な声の持ち主で、木製の一人用椅子に座って読みましたが、滑舌もテンポも絶妙で、彼女の詩と同じく、奇を衒ったとこはひとつもないのに、じわじわとぼくの心に染み込んでくるのでした。非常に熟練した朗読スキルを感じました。


それでですね、実は。
こうした堂々のラインアップの朗読会で、ほんとに面白かったんですが、飛びぬけて出来の悪かった人がいたんです。
現在でも日本を代表するパフォーマーとして活躍を続ける白石かずこさん、その人です。ものすごく皮肉な物言いなんですが、現在の「仲間内の褒め合い」では断トツの評価ですよね、彼女。
この特集でもトリとして登場して、演出もなかなか凝ってたんですよね。当時でも期待のパフォーマンスだったのでしょう、きっと。パフォーマンス自体はそんなに悪くなかったんですけどね。
彼女の当時の失敗は、ひとえにテキスト選びにあったのではないかと考えてます。月の神秘と狂気をあらわそうという詩篇でした。

舞台に白い法衣のような衣装を着た群像が浮かび上がる。その中央に、同じ衣装を着た白石さんが立ち、青いスポットライトを浴びる。神秘的なことばの数々を読み上げ、一呼吸おいてひとこと軽く叫ぶ。「ルナティック」と。
それは、詩篇のキーとなるところでなんべんも繰り返される。「ルナティック」「ルナティック」「ルナティック」…

ぼくらは少しづつ語り合いました。「あれは…何だったんですか?」「笑わそうとしたわけでもないよねえ」「10年以上前だから、まだルナティックが新鮮なことばだったのかなあ」などなど。確かに同時期、ザバダックという野心的な音楽集団がデビューしたてで、『水のルネス』とか『ルナ』とか、ユーロピアンで神秘あふれるサウンドの数々を提供してたんですけどね。余談ですがその後のザバダックはアイリッシュトラッドの方に行ってメンバーの変遷もあって、数年前は幼児番組「いないいないばぁ」の音楽を担当してたらしいです。
ぼくは日ごろの不勉強もあり、最近さしたるイベントにも参加してないので、白石かずこさんのパフォーマンスを拝見したのはこれきりなんです。だからこれが彼女のすべてではないはずで、もっと素晴らしい朗読を観せてくれる力量のある方だとは思うんですが、ぼくの白石さんの印象は「やっちまった人」そのまんまです。映像の残るテレビって、怖いね。


もうひとつ、印象に残ったことがありまして、イベント後に蜷川さんのインタビューがあったんです。
「詩人てほんとに言うこときいてくれないねえ」と苦笑まじりに仰ってました。なんでも田村隆一さんの演出が本番とは違ってたとか。彼の登場の位置、朗読の場所が全然違ってて、どうもかなり苦労したらしいですよ。
ぼくは、あの蜷川さんが闘わなかったんだ、と軽い衝撃を受けました。今では分りませんが、当時の蜷川幸雄さんの演出は超熱血で知られてて、俳優に灰皿を投げつけるなど日常茶飯事だったらしいです。
その蜷川さんが、詩人たちに対しては腰が引けていたのか。少なくとも、自分の土俵にまるまる引きずり込もうとはしなかったみたいですね。やはり「舞台の演出」とはいえ、微妙に専門が違うということで、多少の遠慮もあったのでしょう。
一方、詩人たちはどうだったのかな、と。おそらく、一流の演出家の演出を受けられるという、またとない好機を最大限に活かそうとした人は、もちろんいたと思います。が、詩人田村隆一はそれをよしとせず、あくまで自分の「詩」というフィールドにこだわった。まあ田村さんらしいと言えば田村さんらしいんですが、彼の「詩人はことばだけで勝負するんだぞ」という強烈な自負とか、(言っちゃいますよ)田村隆一というネームバリューが邪魔した結果なのかな、と思います。


このイベントが一回こっきりで終わっちゃったのは、返す返すも惜しいことでした。毎年でなくてもいいから、この朗読会が定期的に行われていれば、詩の世界においてかなりの大イベントに成長していた可能性がありました。少なくとも「詩のボクシング」以上のインパクトがあったんじゃないか、と。その意味では、詩界は千載一遇のチャンスを逃したとも思われます。
続けられなかった真相は何でしょうかね、いくらでも考えられます。演出家のスケジュールが取れなかった、蜷川さんが詩人に愛想を尽かして「もうやらん」と言った、実は予算的に大赤字だった、局のプロデューサーが「これやっぱつまらんわ。もうやめ」とツルの一声、などなど・・・まあぼくは参加者でも当事者でもないんで、勝手な想像を巡らして楽しんでいます。



散文(批評随筆小説等) 【批評祭参加作品】詩人は、ことばだけで勝負するんだ!? Copyright 角田寿星 2010-01-10 12:51:39
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