【批評祭参加作品】近代詩と現代詩の受容の違いについて
岡部淳太郎
日本の詩が人々にどのように受け取られてきたかという詩の受容の歴史を考えると、近代詩と現代詩の間で大きな切断線が横たわっているのを誰しも感じざるをえないだろう。それは、近代詩は人々の間に幅広く受け入れられ人口に膾炙しているのに対し、現代詩はそのほとんどが人々に受け入れられずにいるというものだ。詩を考える人々の間に広く浸透しているこの認識は、恐らく事実だと思われる。こと日本語で書かれた詩の国内での受容に関して言えば、近代詩は読まれいまも途切れることなく読まれつづけているが、現代詩はそれに関わる者を除いた多くの人々の間で読まれず、それどころか、現代詩というものの存在すら知られていないことが多い。これはどういうことか。近代詩と現代詩の間に何故このような受容のされ方の違いが出て来てしまったのかを考えてみたい。
さて、このように近代詩と現代詩をわけてみて、一方は受け入れられているがもう一方は受け入れられていないとすることは、実はとても危ういものをはらんでいる。何故かというと、受け入れられているものを上位に置き、受け入れられていないものを下位に置くという単純なランク付けを惹き起こしやすいからだ。近代詩は人々に受け入れられているのだから優れていて、現代詩は受け入れられていないから近代詩よりも後退しているのだという、そのような粗雑な意見がいままでに何度もあった。だが、少し冷静になって考えてみれば、これはひとつの指標に拠りかかっているだけで、その本質については何も吟味していないのだということがわかるだろう。作品の価値を計るに際して、人々に受け入れられているかどうかというのはひとつの指標ではあるかもしれないが、絶対的な物差しではない。ある作品が優れているかそうでないかは、ひとつの方向からのみではなく、多くの方向から検討されるべきだ。実際、詩だけに限ったことではなく、世に知られていない隠れた名作など数え切れないほどあるではないか。だから、近代詩と現代詩の受容のされ方を並列して見ることで、その受容の大小の違いをそのまま両者の価値へとつなげて考えることは、厳重に戒められなければならない。
ここまでひととおりの前置きを済ませた上で、改めて考えてみたい。近代詩と現代詩の受容のされ方に、どうしてこのような違いが生じてしまったのだろうか。それはおそらく、日本において人々が詩に対して抱いてきたイメージが元になっている。それは、詩をひたすら抒情詩と見なしてきたということだ。当たり前のことだと思われるかもしれないが、西洋においては古代ギリシャの時代から連綿とつづく叙事詩の伝統があり、その点で日本とは大きく事情が異なっている。日本でも長歌のようにある程度以上の長さを持つ詩の形式があったものの、それは時の流れの中で定着せずに、三十一文字の和歌や十七文字の俳句などの極端に短い形式のものに取って代られることとなった。この詩の形式の長短の違いが、詩の内容にも影響を与えていることは確かで、和歌や俳句のような超短詩とも呼びうるような形式のものだと、抒情を喚起するものとして見られやすいだろうというのも確かなことだろう。日本の人々はそうした昔からの実例の積み重ねによって、詩は短く抒情的であらねばならないという固定観念を持つに至ったのだと言える。これは詩の実体、また実作者の持つ詩に対する考えとは無関係にそうなったのであって、詩に詳しい者がいくら詩はそれだけのものではないと言ったところで、覆しようのないものとして定着してしまったのだ。問題は詩の(また、和歌や俳句の)本質がどこにあるのかということではなく、それを受け取る人々の間でイメージが定着してしまっているということの方なのだ。
この人々が持つ詩に対する固定化したイメージが、近代詩と現代詩が受容される際にも働いてしまっている。すなわち、近代詩は抒情的であるが現代詩はそうではないということで、より抒情性が強い(と人々がイメージする)近代詩の方が、人々に好まれているのだ。
また、人々が詩に対して抱くこのイメージは、詩を若年の甘い夢として捉えさせもした。人が普段生きている殺伐とした現実からひと時逃れるための便利な装置として詩は見なされ、そのイメージをより人々自らの中で強化してゆくために、夭折詩人の事例が利用された。現実に対して詩は甘い抒情を届けてくれる。そのためには、詩は若年者が書くものであり、浮世離れしていて女々しくて、なよなよしているものでなければならなかったのだ。ここにはおそらく、人々が無意識のうちにも詩に対して抱いていた欲望が介在している。それは先述した現実からひと時逃れるための装置としての役割、そのために抒情を表出して受け手を気持ちよくさせてくれるものとしての詩の姿であり、こと現実生活というものへの融通が利かない勤勉な日本人であるからこそ、逆にそのような便利な機能を詩に求めたのだとも言いうるかもしれない。さらにつけ加えるならば、昭和二十年の敗戦によってそれまで拠りどころにしていたものがことごとく覆され路頭に迷わざるをえなかった日本人にとって、日本の原初の詩的なもの(と人々がイメージする)詩の姿を追い求めたいという欲求が働き、それが現在までずっと尾を引いているのだと言うことも出来るかもしれない。敗戦後の半世紀以上に及ぶ時間の中でも詩に対するイメージにさほど大きな変更が加えられなかったらしいことを見ると、それだけ人々が持つ詩へのイメージは強固なものであり、国際化だのグローバリズムだの言ったところで、本質的に変らないものが日本人の中にありつづけたことのひとつの証左なのだとも言える。だからこそ、現代詩ではなく近代詩なのであり、それは何度も言うように、詩の本質がどうかということに関わりなく、人々の間でそのようなイメージが定着し、それを元にして社会の中で詩が規定されてしまっているからこそなのだ。
そうした人々の詩に対する欲望やイメージとは無関係に、現代詩が歩きつづけてきたことも事実ではある。しかし、だからといって、人々の求める通りのものばかりを書けというのも乱暴な話だ。詩を書くというのが奉仕ではなくあくまでも創作行為である以上、求められるものと実作との間にずれが出て来るのは当然のことだ。また、日本の現代詩は、近代詩が戦時中に時代を蔽った大きな言論の流れの中に吸収されてしまったことへの反省と反発から出発しているのだから(詳しくは吉本隆明や鮎川信夫らの当時の戦後詩人たちの論考を参照)、近代詩からある程度切れてしまうのはやむをえないことだった。ここに他の国とは違う日本の詩に特有の事情があり、それを考慮せずに近代詩と性急に接続してしまおうとするのは怠惰なことだと思う。それに、現代詩にも抒情詩はある一定の割合で生き残っているのであり、それらの詩が何故(谷川俊太郎などの一部の例外を除いて)人々の目に触れることが少ないのかということを考える必要があるだろう。もし素直でわかりやすい抒情詩がそのまま人々に受け入れられるのだとしたら、もっと多くの現代詩人が人々の目に触れてもよさそうなものだが、現実はそうではない。ここにはただ抒情詩であれば良いのだとするだけでは説明のつかない、深い理由が横たわっているのだと推測される。
おそらく、人々が現代詩よりも近代詩に親しむ理由の中には、歴史化されたものへの安心感といったものもあるのだろう。よく有名人が亡くなるとマスコミやファンの間でその有名人への神格化が行われるが、あれと似たような感情だろう。現実にいまここで生きて活動している者はまだ活動の途上にあるため、次の展開が予測出来ない。それに対して、既にこの世に亡い人であれば、その活動の全貌を俯瞰的に捉えることが出来る。もともと人は予測不可能なものを嫌う習性を持っているから(それは社会の中で生きてゆくために、人が自然に身につけた自己防衛本能の一種であろう)、既に完結してしまったものの方がより安心感を得られるのだ。もともとマイナーな表現ジャンルであると見なされている詩であればなおさらのことで、いまだ不安定な状態にある現代詩よりも評価が確立し終ってしまったジャンルである近代詩の方が安心感を得られる。そこには評価の確立したものに惹かれるブランド志向的な気持ちも働いているだろう。そして、現在からより遠い地点にある近代詩は現在との間に置かれた時間の総量の中で歴史化が果たされたがために、より人々に親しまれやすいものとなっているのだ。
人々が詩に対して与えたイメージを元に近代詩に親しむということは、もっと言えば、近代詩であれば何でもいいというわけではなく、近代詩の中でも特に人々のイメージに合致するものが好まれるということだ。それはひとつに抒情詩であり、もうひとつに、出来ることならば夭折詩人であることが望ましい。夭折という物語の中に人々は甘い夢を見て、思う存分自らがイメージする詩の世界に浸ることが出来る。それを具体的な詩人の名前で言うならば、中原中也であり、立原道造であり、宮沢賢治である。逆に、近代詩の範疇に属する詩人であっても、人々がイメージする抒情詩とは異なるモダニズム系の詩人たちや、近代から現代までを股にかけて活躍した長命の詩人たち(特に現代詩の起点とも目される西脇順三郎が好例だろう)に人々が親しむことは少ない。それらの詩人たちは人々がイメージする詩、人々が詩に求めるものから離れたところに位置しているからだ。日本の人々は詩に甘い夢を託そうとしてきた。だからこそ近代詩と中でも夭折した抒情詩人は広く受け入れられ、現代詩は受け入れられないのだ。この人々のイメージや欲求と実際の詩作品との間にギャップがあるということが現在の詩の受容のあり方になっており、そこから現代詩の難解論をはじめとした詩の実作者と受け手との間の不幸な関係が成立してしまっている。そしてまた、現実社会に生きる人々の日々の辛さや苦さをひと時だけでも慰め癒してくれるものとしての詩の姿が求められてきたということは、詩と詩人が社会から見てマイノリティでありながら、それゆえに逆にそのような現実を超越した特殊な機能が期待されてきたのだと言える。社会から隔絶してひとり孤独のうちに黙々と芸術活動に打ちこむという古典的な芸術家像が、ずっと人々のイメージとして保たれてきたのであり、そこにはマイノリティとしての芸術家を忌避しながらも憧れるという背反した感情とともに、社会全体のスケープゴートとしての芸術家像が求められつづけてきたという日本社会全体の精神性も関わっている。このような歴史的および民俗的な事情を考慮しなければ、近代詩と現代詩との間に横たわる深い溝を説明することは出来ない。性急に人に読まれる詩を求めるだけの態度は、その意味において根本的に誤りであると言わざるをえないのだ。
(二〇一〇年一月)
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第4回批評祭参加作品