どんな理由をつけたってやってることはたいていお見送りなのだ
ホロウ・シカエルボク





アンダーグラウンドで格付けされてちょっといい気分の俺は
阿呆の休日に溶けながら冷めたインスタントの珈琲を飲んでる
晴れのち雨の天気予報はいささか疑わしい感じだったが
カーテンの向こうでは少し早めに薄暗くなってるみたい
手持無沙汰な感覚が少し足りないと思って古いゲーム機を売っぱらった
カートリッジロムにうつつを抜かすほどの時間はもうたぶん欲しくはないのだ
いまでも生きているフォークシンガーの歌を聴いている
その人とはずいぶん昔に少し話をしたことがある
歌っていないシンガーを見たのはその時が初めてだった
そして多分歌っているところだけでこれからは満足するだろう
窓の向こうで行き過ぎる車が水を跳ねるような音をさせている
やっぱり本当に雨は降り始めているのだろうか
濡れることのない日に空の具合なんて気にすることも別にないのだけれど
夕暮れを欠いたせいで今日という一日が尻切れで終わってしまうのではないかと
そんな気分にひっかけられてしまうことが少し忌々しいのだ
昼間に買い物をしてからもう一言も喋っていないから
枯れた喉が少しはマシになったのかどうか確かめることが出来ない
もちろんそのことも是が非でも知りたい項目というわけではない
あとまわしにしていることのいくつかがちょっと気になるけど
どのことについても期限を区切られているわけではないので
道端で死んだ猫のように振り切った
名前も知らない猫なので後ろ髪すら引かれることはなかったなんて感じで
つまらないことに夢中になり過ぎてはいけない
二度と帰ってこないものを悔やんでしまうばかりだから
ストイックになって褒めてもらおうなんて考えてるわけじゃない
ほんの少しバランスを変えてしまおうと考えてみただけ
時間の流れは出来る限り見送ることが出来るくらいがちょうどいい
例えば音楽に乗せて過ぎてゆく一分みたいに
このところ日々から言うと比較的暖かかった今日だけれど
もう太陽は居なくなってしまった
憂鬱な時間のように寒くなってくるのだ
執拗に静かに降り注ぐ雨が連れてくるいくつかの要素が
この世界が欲しがっているものを少しずつ奪い取ってゆくのだ
「雨の音はまんざら嫌いじゃない」なんて夢見がちな野郎がうそぶくせいで
レインドロップはますます調子づいて断末魔の12月を濡らし続けるのだ
台所には昼飯を食べるのに使った茶碗やなんかが水に浸かっているけど
今日はもう立ち上がる気になどなりはしないので放っておくことにする
俺が洗わなければ誰も洗わないというわけでもないのだ
何週間ぶりかで浴槽に湯を張って身体を沈めたけれど
身体はもうそんなことは忘れようとしている
終わらない入浴みたいなものがあればいいのになと時々俺は考える
それがどういうシステムで展開されていくものなのかまでは見当がつかないけれど
終わらない入浴みたいなものがあればとてもいいなと思うのだ
何千円かのガス料金にあくせくしているご身分のこちとらとしては
そんなことを書いていると突然今日の朝目覚めたときのことを思い出す
やはり俺は幾つもの時間の流れを見落としながら生きているのだなと思う
そう遠くない過去でさえもはや夢のような領域で舌を出している
そんなものが自分の後ろに40年分近くも連なっているのかと思うと
人生というものが無性に怖くなって身震いをした
どんなオトシマエをつければこの途方もない尻尾は満足するのか
安いハートブレイクみたいに切り捨てることなどもう出来ないのだ
触れようとしても空振りするだけなのに確かにそこにある
あやふやな今よりはよっぽど確かな密度で
流れている音楽の曲と曲との切れ目で不意に一瞬夢から覚めたみたいな
そんな奇妙な感覚が俺の中に訪れる
次の曲の一分五十二秒ぐらいまで
それは長く尾を引きながらやがて消えてゆく
下がり始めた気温のせいなのか両の手のひらにはきめ細かな砂がまとわりつくような感覚
こいつを書きあげてしまったらストーブを入れて嘘のぬくもりを手に入れよう
今日の日ももうすぐお終いだ
通り過ぎているだけなのにひとつひとつが間違いなく終わってゆく
細胞が僅かに量を減らしながら再生していき
意味がなくなるころにその量は完全なゼロになるのだ
俺は自分自身の意味がなくなることについて考えた
どんなことをしてもその時はやってくるのだ
まったく
たまんねえな人生
そろそろ
晩飯の時間だな






自由詩 どんな理由をつけたってやってることはたいていお見送りなのだ Copyright ホロウ・シカエルボク 2009-12-27 18:07:28
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