クロスワールドパズル
チャオ

僕は、母親と、父親から生まれた。僕は、母親と、父親の出会いから生まれ、僕は、母親と、父親の誕生から生まれた。

僕は、ある日ひとつの悟りに達した。その答えは、何万年も前から繰り返されてきた答えで、その答えには、答はなかった。でも、確かに残る感覚だけがそこには残った。それが、僕の悟りだった。

友人は、一人の人を深く愛した。彼らは、出会うことを許され出会い、話す事を許され話し合った。互いは、互いを意識し、特別な関係を培った。

僕が、鉛筆を持つとき、それがすべての事柄であり運命だ。だが、僕はその鉛筆を、描くことに用いることも出来るし、手紙を書くことに用いることも出来る。さらには、試験の選択肢を決定する道具としても使える。

僕と、鉛筆が出会い、僕が、その鉛筆に意志を伝えたとき、鉛筆は秘められた運命の可能性を開く。僕は、絵を描く。僕は、手紙を書く。僕は、サイを振る。様々な選択肢だ。だが、時にその鉛筆では芯が折れていて、鉛筆の役目を果たさないものもある。あるいは、角がなく、サイの役目を果たさないものもある。

僕は、僕の運命の可能性を鉛筆の運命の可能性に託す。だが、それが拒まれるときもある。それが、ものに宿る、生まれ持った才能のような気がする。もちろん、受け入れられることのほうが多い場合があるのだから。

僕と、鉛筆が出会い、そこに描かれたもの、もしくは決定されたテストの答案用紙。それは、僕と鉛筆の接点が生み出した、奇跡であり、偶然である。だがそれは同時に、必然であり、運命なのだ。

僕は、必ず、何かの運命の可能性と対峙している。それと、何らかの形で重なり合うことで、ひとつの現実を生み出す。
サラリーマン風にいうならば、僕はいろんな社員とともに仕事をこなし、ひとつの会社というものを築いていくそんな感じなのだろう。だが、時間は無常にも、過去はすでに立ち入ることの出来ないテリトリーであり、未来は、足を踏み入れた瞬間に現在へと形を変えてしまうのだ。つまり、今という世界は、僕のあらゆる重なり合った可能性を解放して生まれている時間なのだ。

僕の意思と、鉛筆の意志が、手紙を作り出したとき、その意志と手紙の受けての意志がさらに重なり、ひとつの感情が生まれる。そういった一つ一つの出会いが、今の世界を形成していくのだ。

友人は、一人の人を愛するために、愛を知ろうとした。それには人が必要で、その出会いを求めていた。もちろん、受身であってもそれは可能だ。待つことで、それを可能とする判断をするものもいるだろう。だが、すべての決定権は、意志にあるということだけだ。そして運命は、もうひとつの意志との重なり合いで生まれてくるということ。

ある日、友人は、その人とであった。彼は、自らがそこへ向かうことを選び、そして、その場所へ立った。彼は、彼女の返答を待つことで、彼女の意志をしっかりと受け入れようとした。それは、結局、深い愛を生むことになったが、ここで、もし、彼が、受け入れられることがなかったとしても、彼が彼女と重なることで、ひとつの愛が生まれたことは確かだ。そう、愛を拒むことで、彼は愛する行為をなし得ることが出来る。つまり、彼は、愛という行為で運命を形作ったのだ。

それで、彼は、愛という運命を今という瞬間に手に入れることが出来た。それは、彼と彼女の意志によって生み出された、運命であり、奇跡であり、必然であり、偶然なのだ。

僕は友人にこういった。人は、どこまで言っても、答にたどりつくことは出来ない。だからといって、その答を放棄すればそれはすでに、人としての意味さえも放棄することと同意義なのだと。僕がやれる範囲でその答の深さを示すことが出来たとき、それに気がついた誰かは、もっと深みにいける可能性を持つことが出来る。それだけのために、僕は答をさがさなければいけない。と。
友人はそれは、ニーチェが言ってるといった。僕は、ニーチェを読んで泣いた。真の敗北は勝利と同じ意味を持っているのだ。僕は、誰かの踏み台にされることによって、ひとつの世界をになうことが出来る。それは、「永遠回帰説」であり、中原中也の「蛙声」であった。

僕は、かえるのように、空にかき消されるだけの声を張り上げるのだ。だが、そうすることで、かえるの声は夜を修飾することが出来る。、いや、そうしなければ、修飾など出来ないのだ。

そして、その声を聞いた誰かが何かをふと思うだろう。それが運命なのだ。

僕の父は僕の母と出会い僕が生まれた。僕は、父と母の運命の結晶体であり、彼らと常に重なり合い、また僕独自の運命を享受し、僕の世界を作り上げていく。

世界は重なり合っている。重なり合ったもの同士が意味を授けられる。
僕の右手には誰かの意志がにじんでいる。僕の髪の毛にも、僕の皮膚にも。僕は、所詮僕ではない誰かの集合体に過ぎず、誰かの集合体であるからこそ、誰にも僕の形をつくることが出来ず、そして僕は、僕と言う今を作り出すのだ。

すべての言葉は引用で、すべての行為は模倣に過ぎない。僕は、その中で、何とか僕のオリジナルを作り出そうとする。その行為だけが、僕のオリジナルであるのだ。



散文(批評随筆小説等) クロスワールドパズル Copyright チャオ 2004-09-22 00:54:08
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