美しい夜の匂いに身を震わせその全てを溶かすのだ
染み込む様な水の匂いに甘いカラメルの様な薪の匂い
刈りたての柔らかな藁が夜気を含みいっそう柔らかになる匂い
遠くに見えるオレンジ灯りは学校の宿直だろうか
遠く星の渡る空の向こうには何が有るのだろうか
そうだ夜に梯子をかけて屋根を渡ろう
三つ隣の街に行って誰からも愚かだと言われる事を成し
あの小さな星の様にいつしか消える瞬きとなろう
燃えさしの蝋燭の様な心を一瞬の輝きに変えて仕舞おう
そうして街を渡った後にはきっと笹舟を折るのだ
何処までも遠く星を渡る小さな舟を造るのだ
船頭になってこの河を流れる様々な願いを集め
星々を紡ぎながら空にそれを返しに行くのだ
ベガ、アルタイル、星の名前なぞそれしか知らないが
それが何の妨げになると言うのだ
時間はもうはや幾らだって在る
緩やかに流れるこの先にどんな不安が有ろうか
一体何に行く手を妨げられるだろうか
ああしかし夜が明ける
まるで世界を焼き尽くすかの様に赤々と燃える
我が身が溶け合う様に求めさ迷った時間と空に
沈黙の別れを告げる朝になる
(告げねばならぬ朝になる)
両の眼は流れるべき川を空に睨み付けたまま
いっかな出ないこの手この足はまるで石になってしまった
ああ何を恐れると言うのだ
真っ白な光の国にいったい今以外の何があろうか
溶け出した身体に成り代わるどれだけの物があろうか
光の中に何を求めよと言うのだ
空は真黒く俄かに曇り
そこに落とした幾度かの溜息を嘲笑った
舟は私を乗せる事無く流れてしまった
私は今日もまた空を見上げる
くるりと太陽に背を向けた時
さっと静かに風が草を撫でた。