結城 森士
ばっちりメイクを決めた洗練された女性よりも、眉毛もそらず化粧もしない、電車の中で涎をたらして眠る無防備な少女の方が断然美しいと感じた瞬間がある。これは本音だ。
よく子供は天使のようだと評されるが、確かに化粧によって整理された顔よりも、心の内をさらけ出す、ありのままの無防備な笑顔の方が美しい。また、社交辞令やマナー、人間関係を円滑にするための笑顔などで形成された性格より、ありのままの純粋な性格を晒しだす方が、奥深く、混沌とした中に美しさを秘めている。
しかし、純粋そのものである子供も、いつか着飾った大人になり、醜く老いていく。
天使のような心も、いつしか着飾った心に変わっていく。
誰もがその道をたどる。
現代社会の恩恵を受けて生きる ということは、汚れていくということだ。
記号化された社会に染まっていくということだ。
混沌とした天使の美しさから、整理された、記号的な存在へと変化していくことだ。
この世界で生きていくということは、汚れていくことだ。
これらは、中学生のときに考えていたことだった。
もちろん二転、三転して、それ以外の考えにも触れてみた。
しかし、今になって私は再び、こんな風に感じている。
この記号化された社会で大人になって生き延びていくということは、
単に汚れていくことでしかないんだということ。