12月のボーイズラブ特集 副題:知と愛の接触
済谷川蛍

 一

 趣味を語ればわたし自身のことを語ることになると思います。
 わたしはけっこう多趣味です。自転車は三十五万ほどのマウンテンバイクに乗ってます。一応MT免許は持っているのですが、即事故っちゃいそうだし、車を買うお金もありませんから、健康のことも考えて自転車を買っちゃいました。映画は最近はあまり観にいきません。住処は山口県のとある田舎町です。遊ぶところが何もないですけど、図書館がいい雰囲気なのでそこが気に入ってます。でも一時期、司書のひとたちといざこざを起こしてしまって、今ではとにかく謙虚に振舞うようにしていて、そしてほとんど館内で本を読むことはないです。本は教養書と小説を両方読むように心がけていますが、結局小説ばかりを渉猟してしまいます。ヘッセが好きです。特に『車輪の下に』と『デーミアン』と『帰郷』は大好きですね。わたしの年齢は二十四歳です。七時五十分から十二時までスーパーのバイトをやっています。給料は五、七万ほどで、まったく自立の余地がないのが不満ですね。友達はゼロです。寂しい人間だと思われますが、神経質で自己中心的な性格なので気楽でいいです。わたしは男ですから自由奔放に生きていけます。女の方はなかなかこんな風にはいきませんよね。
 まったく色気のない自己紹介文ですみません。わたしはとてもつまらないダサい人間です。性格も多重人格的で最悪です。

 というようなメールを、「毎日が退屈で孤独だ」と嘆く女性を装った巧妙な出会い系メールに返事してしまった。わたしは己の浅はかさに嫌気がさした。
 でも荒涼とした人生にも、思わぬ天佑によって美事な薔薇が咲くこともあるものだ。わたしは告白された。相手はなんと、男子高校生だった!

 二

 わたしはマウンテンバイクを玄関に置いている。バイトに行くために自転車を押しながらドアを開けて外に出ると、一人の少年が立っていた。わたしはなるべく気にしないように出たのだが……。彼は「すみません」と言って手紙を差し出した。そうして別れた。なんということだろう。それは恋文以外の何物でもなかった。この少年はよりによってなんてやつに恋をしてしまったのだろう。最悪だ……。
 どうもわたしは色んなところで噂になっているらしい。過去に、プールで女の子の写真を撮影して警察に捕まったり、司書と図書館の使い方で揉めたり、図書館の前で詐欺師に3千円騙し取られて別人のお婆さんを警察に引き渡したり、夏休みにラジオ体操をしにいったら偶然プールの女の子がいてストーカー扱いされたり、母校の運動会に写真撮影をしに行ったらまたその女の子がいてチンピラ風の父兄に「もしおまえがなにかやったら攫うぞ」と脅されたり、そういった難儀な事件のよく起こった年があって、それからカメラを持ち歩くのも地域の催しごとに顔を出すのも嫌になった。わたしは寂しいだけなのだ……。しかしその寂しさ、そしてその種の人間がもつ知的さに惚れたと少年が告白したとしたらどうだろう?
 答えは意外にも恐怖である。そう、わたしの第一印象は恐れであった。
 
  わたしは人に好きになられるのが怖くてならない。手紙の文字を追いながら、少年の中に生まれたリアルな恋心に対して非常な恐怖を覚えた。いや、恐怖というのは言いすぎかもしれない。というのも彼の文章は知性に偏っているが、決して硬質でも陰々としたものでもなく、彼の生まれ持った清冽さ、愛らしさが伝わってくる健気なものだったからだ。英語に似た文字の優麗さは、彼の気品を存分に表しており、わたしの不安を幾分か和らげてくれた。三枚の便箋から、わたしに対して抱いている憧れや思慕、また信頼感、尊敬の念、そして相当の勇気や覚悟が感じられた。とにかく年下の者が年上の者に本物の愛を証明するために説得力を出そうと四苦八苦していた。
 なるほど、わたしは確かに彼の期待に応えられる数少ない種の人間かもしれない。こんな奇人にはこのへんじゃちょっとお目にかかれるもんじゃない。しかしとてもじゃないが、わたしは彼と付き合う器ではない。というのも、わたしはれっきとした人格破綻者だからだ。彼のような、知性と共に、捉えどころのない健全な精神を具えた人間というものはほとんど奇跡のような存在に近く、後者の清潔な性質を持たないわたしはある意味、至極凡庸で、卑近な人間だといえるかもしれない。ゆえにわたしは彼をわたしから遠ざけたいと思う。無論、わたしは彼のことを愛している。彼を愛するこの世の誰よりも深く愛している。彼自身それを望んだ。しかしわたしは彼に、素晴らしい女性と結婚してほしいと思う。それでこそ美しい物語が完成する。わたしなど登場してはダメなのだ。わたしが想像する彼との接触は、ひどく暗く、淫猥だ。

 三

 わたしは夜ベッドの上で、例の手紙をおそるおそる開く。溢れる愛は直接わたしの胸に流れ込んだ。彼の知性に偏った文章は、彼がわたしに自分の知性をアピールするために意図して書かれたものだろう。その目的はやはり説得力を与えるためである。何度も読み返して彼の輪郭や人物像を想像し、その愛らしさと賢さ、繊細さ、優しさ、健全さ、初々しさ、文字の美しさ、貴さを感じるたびに、なんともいえない嬉しさがこみあげてきて、自分にはもったいないというストイックな感情と敬遠が知と愛の接触を拒もうとするのである。この文学的な危うさにわたしは酔っているのかもしれない。しかし、わたしは「貴方のことが好きです。」だなんて、生まれて一度も言われたことがない。 
 彼の容姿を思い出す。メガネ属性の美少年ということになろうか。小柄で、色白で、銀縁メガネをかけていて、手紙にも書いてあるようにミッション系の高校へ通っており、その高校は県内でもなかなか名の知れた進学校ではあるが、別に東大や早稲田なんかに行くわけではなく、地元国立に入学できれば万々歳だ。それにしてもこの無垢な愛らしさ。このコはモテるだろうな、と思った。
 「なんだかせつないなァ」
 わたしは苦笑した。手紙には皺一つ付けなかった。おそるおそる手紙を封筒に収め、それを本棚に置かれたヘルマン・ヘッセの『車輪の下に』の文庫本の間に挟んだ。わたしは彼の家のほうを眺めた。壁を越え、空想だけが彼の家に辿り着き、彼の部屋や彼の様子を水晶玉に映したかのように見る。わたしは思わず枕を抱きしめた。

 朝になって、支度をして家を出た。当然彼の姿は無かった。いつもより早く家を出たので小学生の一団が連なって登校しており、大通りの歩道をぶらぶら歩いていた。先頭の高学年の子はいかにもつまらなそうに黙っており、後方の小さい連中は自由闊達に騒いでいた。わたしは無職時代、彼らのことを自分の部屋からブラインドに小さな隙間を開け、双眼鏡で覗いていたことがあった。なぜかそういう好奇心がいつとも知れずわたしの中から湧出した。ともかくそんなことしていたのだが、かの美少年は一度も観た事が無かった。彼の家と彼が通う学校の位置関係からすると、その通りを歩くか、もしくは自転車で通るはずなのだが……。
 わたしは時速四十km近いスピードでスーパーに向かった。

 わたしはかの少年に返事を書くことにした。デパートで便箋と封筒、そして封をするためのハトの形のシールを買った。家に帰ってすぐには書かなかった。なんとなく夜のほうがいい文章が書けそうな気がしたからだ。いざ書き始めると、なかなか筆が進まなかった。それと字の汚さが気になった。文章については、なかなか鮮度の落ちないものに仕上げたつもりだ。何度も読み返して三つに折り封筒に入れた。
 翌日、彼の家に直接届けにいった。彼の家は立派なものだった。この団地でも一番だろう。周りの家が小汚い生活感を滲み出しているのに対して、彼の家は本物の家格が漂っていた。彼の部屋らしきカーテンの閉められた窓を眺め、ポストに封筒を投函した。このときにはもうわたしは心変わりしていた。彼に会いたいし、仲良くなりたかった。わたしは友達がひとりもいない。恋人もつくったことがない。おそらく、そのように生まれついた。だからこそ、この孤独無縁の辺境地帯に現出した少年に救いを求めた。それに何より、彼は綺麗だ。綺麗なものがいつか汚れてしまうのなら、自分が汚してしまいたいものだ。

 夜になって震えるような手つきで手紙を取る。ベッドに腰かけ、生花に触れるようにそっと手紙を開いた。既に何度と無く読んだ文章が再び鮮やかな光を帯びた。わたしの心は躍動する。生気に満ちて、人相に光が差す。彼に影響されて自浄作用が働くようだ。相変わらず彼の文字は美しい。なんとも朗らかな気持ちになった。彼はまったく素晴らしい。わたしを救えるのは彼だけかもしれない。しかし、わたしは彼にさよならを言うことにした。むりやり引決するような気持ちだった。わたしは四月に高野山へ移り住む。ペリカンの万年筆で二通目の手紙を書く。

 「ところで、いま、Nくんとわたしをモデルにした物語を書いています。写真が趣味の2人が、竜を撮影しに山に登るファンタジーです。出来たらきみに贈る。それとぼくは4月から高野山に移り住むことになりました。仏門に入るのです。Nくんは特別な美少年だからもっといい人にめぐり合うでしょう。きみの持って生まれた人格はおそらく桃李成蹊の類でしょう。僕のことを特別扱いしてくれてありがとう。きみは見る目がある。そのような慧眼を常識と共に持ち合わせる人間は非常に稀。確かに知的です。ヘルマン・ヘッセの『荒野の狼』から引用すれば、僕らは1次元余計に生まれ持ったのでしょう。写真を3枚ほどあげます。あとムリーリョの『貝殻のこどもたち』のしおりプレートも。それでは。Auf Wiedersehen」

 こういった翻訳調で最後の手紙を彼に贈った。

 バイバイ。どうかこんな世界でもお元気で。


散文(批評随筆小説等) 12月のボーイズラブ特集 副題:知と愛の接触 Copyright 済谷川蛍 2009-12-07 23:21:55
notebook Home 戻る