世を去り逝く詩友への手紙 〜追悼・川村透さん〜
服部 剛
今夜、遠い空の下の鳥羽で、一人の詩人の通夜が行われた。その時僕は、旅先の秩父から、地元の鎌倉へ戻って来ていた。何処から書き始めるべきかわからないが、川村透という詩人は、その正義感の強さ故に、かなりハードな日々を生きていたことを、時折このサイトのチャットで語り合う度に感じていたので、知らせを聞いた時は、ある意味で(殉職だ・・・)と思った。
昨夜僕は、旅先の秩父で宿に入る前、夜道を散歩しながら、秩父神社の境内の入口から夜空と白い月を見上げながら、一人の詩人の魂が、宇宙へ還ってゆくことを思い、胸に手を当てながら、祈っていた。
ふたたび歩き始めた僕の耳にはイヤフォンから聴こえるブルース・スプリングスティーンが( can you hear me ? )と繰り返す唄声に、胸を震わせていた。
川村さんを知ったのは七年位前だろうか・・・?詩のボクシングの全国大会に出場していた川村さんが、テレビに映るリングに立って朗読する姿を見たのが、出逢いの始まりであった。そして、実際にお会いしたのは五年近く前に伊勢への一人旅に出る前、川村さんに連絡したところ、地元の観光地を返信で教えてくれて、年末にお会いした。宇治駅近くの小さい料理屋に案内してくれて、伊勢うどんとあさり汁を味わいながら、詩と朗読について、いろいろ語り合った。
旅を終えてしばらく経った頃だろうか、川村さんはMixiの紹介文に僕のことを書いてくれた( 冬のある日、僕は旅人と一緒に、伊勢うどんを食べた。まっすぐで暖かく、柔らかい。どこか懐かしい醤油の風味の無骨なほど実直な一杯のうどん。詩の話をした。朗読の話をした。社会の話をした。湯気の向こうで目を細めていた、それが、彼だったのだ。)そして僕も嬉しく思い、川村さんへ( 数年前の年末、お伊勢参りへの一人旅をしていた僕は、伊勢うどんを食べながら鳥羽の詩人と語り合った。素朴な人柄の中に、熱い想いを秘めた人。時が来たら、またお会いしたいです。)という紹介文を書いた。印象的な旅のひと時の語らいを終えて、料理屋の暖簾を潜って外に出た後、人気無い年末の夜の宇治駅構内で、次の場所に向かって改札を抜けてゆく僕を、いつまでも見送ってくれていた大柄の川村さんが小さく見えたあの場面を、僕は生涯忘れないだろう・・・あの時がまさか、最初で最後の別れの場面になるとは思いもしなかったのである・・・
今の気持を語るならば・・上手くは言えないが、偽善のように僕が泣くのでもなく・・・詩を通じて出逢った者の一人として、決して無関係な事とは思えず・・・志半ばで、病を持つ幼い娘さんを気にかけながら、宇宙へ還ってゆくであろう詩人の魂が詩の暗闇を越えて、いつも娘さんを見守る風になりますように・・・と祈るのみである・・・そして、詩を愛する私達は、それぞれの言葉を詩い続けるという言葉にならぬ思いを、夜空に向かって一心に、伝えたい・・・
これからふたたび、川村透という詩人が遺した詩の言葉が、私達に何を語りかけているのか、娘さんへの愛情のこもった作品を始めとして、耳を澄ます思いで読んでいきたいと思う。あの旅先の夜の語らいのひと時は、哀しくもずっと忘れ得ぬ、大切な、思い出となった。あの日、川村透という詩人が僕に語ってくれた事を、現代詩フォーラムを訪れる全ての若き詩人へのメッセージとして、この文を読んでくださる皆さんと、共有できることを、密かに願います。
川村さんが詩と朗読について「自分の根源から生まれてくる言葉」であり、「読者と一対一になれる詩」であることが最も大切だと語った言葉を胸に、僕は今、詩の道を歩み続けるという一つの決意を、沈黙の内に、川村透さんの魂に、心の底から、伝えます。
最後に、透さん・・・この人生の道を全うしたら、いつかまた、あなたと暖かい伊勢うどんを食べながら、ゆっくり語り合いたいです・・・その時まで、あなたの詩友達が、それぞれの道を歩み続けるように、見守っていてください。
川村透さんの御冥福を、心から、お祈り申し上げます。