都電荒川線
服部 剛
その昔、無数の電車が地面の下に潜る前・・・
東京都内の全域に、のろりと
路面電車が走っていたそうな
かんか〜ん
発車ベルの音がして
気づけば目の前に立っていた
小ちゃい婆ちゃんに思わず僕は
(どうぞ)と小声で席をゆずった
ふた駅ほどで腰を上げた
小ちゃい婆ちゃんが降りる前に
(ありがとね)という一言が
なんだか無性に、あったかい
「荒川車庫駅」で降りて
腹が ぐぅ と鳴ったので
ファミレスを探して歩くやいなや
黒い柵に囲まれた「おもいで広場」に
レトロな車両が置いてあり
自販機で買ったココアを片手に
僕は、腰を下ろした
昔、車掌さんだったという
案内役のおじさんが乗って来て
「この車両はね、
東京オリンピックの頃から走ってたんだよ
その後車が増えてから、路面電車の姿は減って
この沿線だけが今も残ってるんだ。
昔はなぁ、乗ってくる学生に
(今日はテストか、がんばれよ!)とか
いろいろ話したもんだった・・・ 」
明るくもしみじみとした声を残して
おじさんは、レトロな車両から出ていった
静まり返った無人の車内には
僕が生まれるより前の
さまざまな人の物語の賑わいが
何処からか聞こえるようで
あの日のろりと路面を走った面影に
吊り革の丸い輪っかが、揺れていた
木目の床を眺めながら
ココアの中味を飲み終えた僕の胸に
不思議な幸福感が、ひろがった。