冬の博物館の前で(Another Side)
robart


頭脳は過去の記録の博物館でもなければ、現在のがらくた置き場でもない。
将来の問題についての研究所なのだ。
                ――トーマス・ブラー
 

「いいかい、アルチュセールが看破したように、主体なんてものは我々が思っているよりずっと矮小なものなんだ。間違っても、完全に独立した単体としての主体なんてものはない。」
「アルセチュール?」
「アルチュセール。20世紀にそういう哲学者の人がいたんだ。」
「賢い人?」彼女は難しそうな顔をして尋ねた。
「とても。賢すぎたんだね。精神に異常をきたして、奥さんの首を絞めて殺したりもしている。」
「哲学的に奥さんを殺したの?」
「それはわからない。もしかしたらいくつか文献や資料が残ってるかもしれない。興味があるなら自分で調べてごらん。哲学的にせよ、愛憎半ばしていたにせよ、理由はともかく彼は奥さんを絞殺した。」
「じっくり見る方の考察かもしれない。」彼女はタバコの灰を紙コップの中に落とした。中にはまだコーヒーが半分以上残っていた。
「そうかもしれない。でもともかく」私は彼女の言葉遊び――彼は奥さんを絞殺しながら考察しました――にとても感心していたが、話を続けるために軽くあしらった。
「彼は主体について考え、その結果とても悲しい事実を見いだした。」彼女は何も言わないまま私を見ていた。
「我々はまず主体があって、それから主体が行為して、その結果、言説が生まれると思っている。」日常会話で使わないような言葉ばかりが出てくるので、なるべくゆっくりと話したつもりだったが、彼女はよくわからない、といった顔をして眼を数回しばたいた。あるいは、コンタクトが乾いたのかもしれない。
「簡単にいうと、私たちは、自分が見たり聴いたり感じたりして物事を把握していると思っている。」彼女は何も言わずうなずいた。
「たとえば私たちは犬の鳴き声をワンワンだと思っている。」
彼女はワンワン、と小声で吠えた。
「それは犬が吠えるのを自分の耳が聞き取って、それがワンワンに聞こえたから、犬の鳴き声はワンワンだと私たちは考えている。」
ワンワン、と彼女は同意した。
「でも実はそうじゃない、とアルチュセールは言った。先に存在したのはワンワンなんだ。」
「先に存在したのは、ワンワンなのだ。」と彼女は何か重大な申告をするような口調で言った。それから手に持っていたタバコを紙コップの中へ放り込んだ。
「私たちは生まれたときから親から、大人たちから、あるいは絵本やアニメなどから犬の鳴き声がワンワンだ、という一種の言説を叩き込まれている。アルチュセールは、主体よりも言説が先立っていることを示した。彼の言葉を借りるなら、主体とは言説と行為の繰り返しから生じたワインの澱のようなものだということになる。」
「つまり、犬が吠えるのがワンワンに聞こえたから犬の鳴き声はワンワンだって自分で見つけたんじゃなくて、犬はワンワンって鳴くよって教えられたから犬の鳴き声はワンワンだと思っているってこと?」彼女は自分の頭を整理するようにひとつひとつの状況を確認しながら話した。
「そう。だから言説が変われば――たとえばアメリカでは犬の鳴き声はバウバウだ。」
「バウバウ。」
「犬の鳴き声はB・O・W、B・O・Wだと彼らは教わる。だから彼らは犬の鳴き声をバウバウだと思っている。でももちろん、アメリカの犬と日本の犬の鳴き声自体は、ほとんど全く変わらない。」
「アルチュセールはバウバウと聞こえていたの?」
「おそらくね。彼はアメリカ人ではないけれど。ちなみに、日本ではずっと昔、犬の鳴き声はびょうびょうだった。」
「びょうびょう。」と彼女は吠えてから首を傾げた。納得がいかないようだ。
「すごく妙なたとえ話で説明したから、もしかしたら間違っているかもしれないけど、簡単に言うとそういうことなんだ。主体より言説が先にある。我々が生まれる前から言説は先にあるし、社会は先に存在している。だから我々は生まれた瞬間からその社会に従属して生きていかざるを得ない。君のさっきの言葉遊びはとても面白かったけど、アルチュセールもちょっとした言葉遊びをしている。主体を英語で言うとsubjectになるんだけど、subjectには、従属という意味もあるんだ。主体はそもそも従属している。」
「主体はそもそも従属している。」彼女は哲学的に繰り返した。犬が吠えるのが聞こえた。ウインドブレーカーを着込み、ジャージを着た初老の女性が、大型の犬を散歩させているのが見えた。
「ねえ、今の犬の声、びょうびょうって聞こえなかった?」彼女は嬉しそうに私の方を振り返った。


散文(批評随筆小説等) 冬の博物館の前で(Another Side) Copyright robart 2009-12-04 03:10:01
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