詩想 —7
黒乃 桜
落ち込んでる奴がいるとすぐに走っていって、不幸なのはあなただけじゃない、とか言う奴が居た。
ぐすぐす泣き出す奴の肩を撫でながら、ひとしきり不幸な人の話を話して
ひとしきり落ち込んでる奴を泣かせて満足そうに微笑んで、さあ歩きましょう、と言う。
うざったい、というより呆れていた。
一体何様のつもりだろうか、と。
同情が何よりも嫌いだと思っていたが、その時思った。
あれは悦だ。同情の方がマシだ、と。
だから、と言い訳をしている訳ではないし別に同情でもなんでもない。
でも強いて言うなら、嫌悪。
もしかしたらそうなのかもしれない。もしかしたら、逆かも知れない。
ともかくそんな、悦に浸る事も投げ出してしまう事も出来ないのが妙に腹正しかった。
部屋の真ん中に、大量の楽譜が入った紙袋を置いた。
つい勢いで貰ってきてしまった、いや預かってるんだっつの、なんて頭の中で暫く自分とやりとりをして
一番上の楽譜を手に取った。
五本細い線が引かれ、それの上に黒い音符やら白い音符やらが並んでいる。
もちろんすらすらと読めるわけではない。
一番下から数えて、ド、レ、ミ、ファ、あ、これファだ・・、というように読んでいくが途中で面倒くさくなって諦めた。
一番上に、ルピナス、と走り書きで書いてある。
恐らくこの曲のタイトルだろう。
小さくため息を零して、楽譜を紙袋の上に戻した。途端、あ、と声を上げて立ち上がる。
この部屋は、何年か前まで両親が使っていた物だった。
3人で住むには狭いアパートだったが、今は一人だから丁度良い。
両親は、どこにいったのか知らない。
「あーあったあった・・」
押し入れの奥の方から、色あせた水色のプラスチックの細長いケースを取り出す。
誇り被っているのを適当に手で払って、紙袋の横に置く。
ケースの蓋を開けると、黒と白のプラスチックの黒鍵が並んだ安っぽい鍵盤ハーモニカがきちっと収まっていた。
由夜が小学生の時につかっていた物で、白の鍵盤は多少黄ばんでいる。
まだ棄てて無くて良かった、と思いつつ昔変な音が出るといって曲げ伸ばしをしまくってよれよれになった
白いホースを手に取り黒い笛のような部分を口に含んだ。
そして先ほどの楽譜を片手、鍵盤に片手でまた一つずつ読みながら鍵盤を押していく。
綺麗、とはいえないが懐かしい音が部屋に響いた。
暫く真剣に弾いて、ようやく下の段に移る・・というところでハッとなった。
自分は一体何をやっているんだ。良い年して、鍵盤ハーモニカって・・。
慌ててケースの蓋を閉じて、両手を顔で覆いため息を零す。
「馬鹿じゃねえの・・」
誰も見てないのに不思議と赤くなる頬をぱちぱち叩いて
床に寝転がり、走り書きされたルピナス、という文字を追った。
どういう意味なのか、よく分からない。フランス語だろうかとか適当に考えた。
一体どんな曲なのだろうと、普段はどうでもいいと切り捨てる事を考えていたのだった。
ねぇどこにいけるのかな、と言われた気がした。
睫がふわふわと揺れて、小さく微笑まれた。
その瞬間、時が止まった、というより消えてしまったような気がして目を見張った。
そして止まった時の中、そもそもは・・、と思い返した。
そもそもは・・ルピナスってどういう意味だ?、と聞いたんだった。
そして不思議そうな顔で返される。
意味っていうか花の名前なんだけど、と。
花言葉は、幸福とか幸せとかそんな感じ・・それがどうかした?
そうだそう言われた。
その瞬間、どっかのビルの屋上からあの楽譜をばらまきたい衝動に襲われてしまった。
幸福?幸せ?、不思議に思ったと言うより苛立ちを感じた。
おぼつかなく鍵盤ハーモニカが奏でたメロディも、あの走り書きだってそんなものは微塵も含んでいないように思えた。
「ねぇどこにいけるのかな」
ばらまいてもいいか、と聞いた訳じゃ無かった。
何も言わずにいたら突然そう聞かれた。
誰が?何が?
当たり障りもなく聞けそうな事は沢山浮かんだけど、全部押し込んでしまった。
代わりに、さぁ、と返した。
だってそんなの、自分だって聞きたい事だったかもしれないから。
どこにいけるのかな、なんて。それを俺に聞くなんて。
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