日曜日の憂鬱
番田 


友達のことも忘れて歩いていく橋は真上で誰かの言葉で隅っこすらなくしている声にできるのはいつも音楽だけで静寂だけが場所をなくしていくすべてがあったけれどもただ微かな闇のようなものの土に生えはじめたギザギザないくつかを見ていた。空の群青色は行く当ても知らないのかもしれない角の蛍光色である雑居ビルの、景色に通りの間を歩いていくことだろうドブには黄色をした赤い2ミリの蕾をはらませた苔が潜むことだろうと思う。

僕は将来について何も望まないままここ秋葉原で求めている電気製品を求めてひたすらほくそ笑むだけの秋葉原の隣には、上野があった上野には浮浪者のたむろした場所のあるという話をどこかでかすめたことがありギター弾きはいてそれを囲む聴衆のここにもひとり、あそこにもひとり。膨張する桜の、全体の枝葉は四月に咲くいつもの桜の、カーニバルを予感させた僕は動物園の中のオリに入れられた動物の体を縫って歩くとシロクマがいた象もいて猿もいたカバやそれらを描く画家がここやあそこにいたが噂では朽ちた彼らの地下にあろう世界で撃ち殺されるらしいその体が目を閉じた僕の、価値観をかすめたような気がする。



散文(批評随筆小説等) 日曜日の憂鬱 Copyright 番田  2009-11-23 14:36:43
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