のうみそがにょうみそしている。
ななひと
わたくしの脳みそにぺたぺたぺたぺた増殖していくものたちは、伸びる鼻を持っているので、わたくしの脳みその中でその長い鼻を自由に絡めているのですよ。
わたくしの脳みそがそうしてどんどん絡まるのです。鼻だらけになるのです。それはもう、鼻そのものなのであります。むしろ、それは鼻の複数形というべき、いや、複数形といった並列的なものではなく、輻輳するものたちとでもいわなければならないものなのです。断固としてそれは絡まりなのであります。
わたくしが脳みそを左右にふりながら、あーあーあーあー言っているのは、理由がないことではないのであります。
脳みそがにょうみそしているからなのであります。
にょうみそな脳みそがもうにょうみそである、そうした極めてアクチュアルな事態を、我々は断固として主張しなければなりません。
そうすることは、にょうみその復権に、多大なる貢献をもたらすと、わたくしは確信しています。それはわたくしの壮大なるにょーな次元移行の戯れであるのです。戯れという極めてポストモダン的な用語を避けるならば、それは「ゆーらゆらゆやーん」という言葉の、指し示すことと指し示さないことを含んだり含まなかったりするものであるでしょう。
静かな夕暮れがわたくしに「余剰であれ。極めて余剰であれ」と圧迫を加えているのです。あふれ出す空間がわたくしを相対的ダイエットに導く糧となるのです。