ベテルギウスが流れる(クロード・レヴィ・ストロースに)
瀬崎 虎彦

クロード・レヴィ・ストロースが死んで
これから年末にかけて新聞や雑誌では
彼の特集が次々と組まれるだろう
僕は彼が生きていたことのほうが驚きだった 百歳

個別の事象より遠く隔てられた視点から
人間を眺めるとリレーショナルなグリッドが現れる
今日構造主義という言葉はあまりにも再生産されたせいで
ソシュールと彼とその先に分け隔てられているかもしれぬ

構造主義を倒すことに意気揚々として飯を食った今の学者が
死んだらとたんに彼を賞賛する側に回りポスト構造主義の旗をたたむ
僕はそういうやつらを一生馬鹿にしてやるつもりで決意を固めている

構造主義は形式主義と相性がよく形にこだわる僕はそればかりだ
未開社会の分析に言語モデルを適用したという説明で何が分かるか
個別の死としてレヴィ・ストロースを悼んでる輩に構造は見えない

Qu'il repose en paix. 


自由詩 ベテルギウスが流れる(クロード・レヴィ・ストロースに) Copyright 瀬崎 虎彦 2009-11-07 13:10:33
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