平和と犠牲。
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平和を得る為には、何か犠牲を払わなくてはならないのだろうか。

「命」や「想い」、「権利」や「肉体」などを代償に得た平和に、己の幸せは存在するのだろうか。

少なくとも、何かしらの犠牲の代償として得た平和になど、本当の幸福は訪れないと思う。


例えば、己の身体の一部を代償に得た平和。

きっと、見る人によっては不快に思われるだろう。

自分はそれで良いかもしれないが、己のせいで人が嫌な気持ちになるのだとしたら、

それはやはり、幸せとは違うと思う。


自分の言動が、人にどの様に映り、どう思われるか。

それをきちんと理解出来なければ、「誰もが幸せだと思える世界」は手に入らない。

本当の平和なんて、訪れはしない。



誰かが傷付いているのに、

自分の心が傷付いているのに、気付けない様なら、

社会は成り立たないし、誰も幸せになんてなれない。



人は、人と関わりを持つことが出来て初めて、「人間」と呼ぶことが出来る。

でも、他人の気持ちに全て答えられる訳もなくて、

傷付けられながら、苦しみながら、生きてゆく。


それでも、人を理解しようとする気持ちを忘れてはいけない。

誰かの希望に応えたいと思える心を、忘れてはいけない。




喩えその人の考えが自分と大いにかけ離れていようと、

確実に自分に害がある言動を執ろうと、

その人の考え方を、存在を、


拒絶しては、いけない。



人は歩み寄ることを知る生き物だ。

言語を解し、自分の気持ちや考えを他の人間に伝える事の出来る生き物だ。




本当は「犠牲」なんて、必要ないんだよ。


人の気持ちを理解し、自分の気持ちを理解し、

互いに歩み寄る事を否定しなければ。




誰も傷付く事無く、世界は平和になる筈なんだ。



誰もが其の手に、「幸福」を受け取れるはずなんだ。







ねぇ。


誰だって、幸せを望んでいるよね?








散文(批評随筆小説等) 平和と犠牲。 Copyright aokage 2009-10-29 02:58:06
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