「波の声をきいて」(11)
月乃助
Penneのサポーターが取れるのに、三日かかった。
アザラシの面倒は、夏休み中のHiromiが見てくれたが、週二回あるサッカーの練習に連れて行くわけにもいかず、その間は昼間Sayoがアパートにいるはめになった。
それでも、4日目には左のヒレを回して動かしてみても、痛さを訴えることもなく、なんともなさそうでヒゲの愛嬌のある顔を見せていた。
野生の動物の治癒力かとSayoは感心する思いだった。
今週だけ、夜働けるようセーラにシフトを昼に代わってもらったが、そのセーラはSayoの話を聞くとアザラシ?と半信半疑で、それでも早速、レストランで捨てているタラやサーモンの頭や内臓を持ってやってきた。セーラはSayoと同じほどの年で、サーバー仲間としては気が合う。
「へえー、こいつか。結構、小さいじゃない」
「ああ、まだ、子供だと思うわ。大人だったら、とてもここまで運んでこられないわよ」
「そうよね。でも、可愛い顔してるじゃない。Sayo、動物愛護協会SPCAならきっと面倒見てくれるんじゃないの」
「SPCAか…、でも、あれって犬や猫じゃないの」
「さあ、いろいろな動物を扱うと思うけど…」
Sayoは、それも手かもしれないと思うのだけれど、もう、必要ないかもしれない。
アザラシは、そんな二人の会話など気にもならないのか、窓辺の日のさす中でまどろんでいたが、それは、知らない人間がやってきていても、何か安心しきったペットのような姿で、本当にこの部屋になついてしまったらどうするつもりなのだろう。
「でも、この部屋の臭い、すごいよ。あなた達、大丈夫なの」
「そう、そんなに?なんか、なれちゃっているのかしらね」
それは、アザラシの臭いもそうだろうが、Penneの食べ残した魚を捨てたゴミの異臭もあっただろう。
Penneのサポーターが取れたのだから、もう、海に返すべきなのに、娘のHiromiは、何かPenneと離れるのが嫌なのか、まだ、可哀そうだとそんな理由でアザラシを海に連れて行くのに反対していた。
セーラは、アザラシを見ながら飲んでいたビールが空になったのをしおに、それをテーブルに置くと、そうそうに部屋から引き上げて行った。本当のところは、魚と海獣の臭いに堪らなくなったかららしい。だからか、そんな部屋の中で平気にしていられるSayoを、少し海獣の母親を見るような目で帰っていった。
Sayoは、部屋の絨毯にしみになったアザラシの汚物のあとに、ため息を付いていた。動物を飼うということは、こういうことかもしれない。下の後始末に苦労するということ。
セーラの持ってきたビニール袋に入った魚を冷蔵庫の、今ではほとんど隙間もないほどに魚が詰まった棚に押し込んだ。Penneは一日、3キロほどの魚を食べるのが分かっている。すぐに、部屋のドアをノックする音がするので、セーラが忘れ物でもしたのかと行くと、
「Sayo、いったいこの臭いは何?この階の皆が、変な魚の臭いがするって、聞いたら、あなたが魚のバケツを持って帰ってくるって、言うし、変な生き物を背負ってたって、どういうこと?」怒っているミセス・ロスのいつもの濃い化粧の七面鳥のような顔があって、赤い唇を震わせるようSayoに食って掛かった。
(つづく)