それでも世界は美しいと思うしかない宵の口
木屋 亞万

何度も君の名を呼んだ
声が出たことは一度もなかった

臍の奥底深くにある樹海
窒息しそうな木々の狭間
羊歯の葉の上に声溜めが転がっている
叫び出しそうになった声はきれいに縁取りされて
その薄汚い壺に保存されている
湿度が高いため保存状態は悲劇

臍の下には田園地帯が広がっていて
頭を垂れすぎた稲穂が地中に埋まり
次の芽を出そうとしていた
冬を越せない不完全な新芽は
何もかもを勃たたなかった茎のせいにした

薄い胸の内部には凍りついた湖がある
首から先が氷から抜けなくなった何羽もの鶴が
氷に閉じ込められた波を顔に浴びせられながら
泣き叫びあえぎ続けている
そう簡単には死なせないと尻を嘗め回す吹雪の指先
零れ落ちた涙にはナトリウムが不足していた

頭の中はサナトリウム
水族館のことだと思っていたら
それはアクアリウムだと老婦人に笑われた
やがて彼女は蝋人形にされてしまって
誰もが婦長の前を通る時だけわざとらしく咳をして
病室ではおいしそうにミルクティーを飲んでいる
窓の向こうでは高原の清清しい風が吹いているけれど
締め切った室内は人の熱気で窒息しそうだ

何度も君の名を呼んだ
君への言葉を探して声溜めを漁ったが
腐敗した木片に書かれた文字はどれも読めなかった
私は体の中の自然を病んでいる
かつて誰かがそう言った

「手は繋ぎたくないの、うつるわ、それ、病気だもの、サナトリウムに行った方がいいわ」

あれからずっと僕は窒息している


自由詩 それでも世界は美しいと思うしかない宵の口 Copyright 木屋 亞万 2009-10-19 21:50:26
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