良作と駄作の違い
飛べない豚
ドラマや漫画、アニメや映画など、様々な解釈で話した機会は誰もがあるだろう。
よく「作品は作者の手から離れて一人歩きする」という。
それは、説明されていない部分について、我々受け手側が自由に解釈するからではないか。
言葉の論理の規則にしたがって前後の繋がりから判断し正しく意味を読み取ってもはっきりしない部分がある。
論点に対するそれらしき根拠はあれども、 断定できる証拠が見つからない。
つまり、明確に?語られていない?のである。
この、わからないことを解釈するときに用いられるのが、
これまで蓄積された自らの知識や経験ではないだろうか。
正しく読んでもわからないのならば、もはや自分の既存の知識や経験で判断するしかない。
このことから、様々な経験や知識を積んでいる人ほど様々な視点で解釈できるといえる。
つまり、感受性が豊かといえるのではないだろうか。
そしてそれは普段、日常でも言われていることでもあると思う。
よく、「あの言葉は深い」「重みがある」と思うことがあるだろう。
その言葉は長々と喋った言葉ではないと思われる。
大抵1文、もしくはたった一言のことが多いのではないだろうか。
その理由は、その言葉の明確な説明がなされていないからであり、
断定できる意味を持ち得ないからなのである。
明確な意味がないから様々な意味で読み取れる。
裏を返せば分からない人には分からない言葉になる。
つまり、意味深な表現を用いたければ
?詳しく説明しない??書かない?
ことが大切なのであり、それがその作品の「深み」を生むのではないかと推測する。
これが「男は黙って…」という多くを語らない男の美学ではないだろうか。
つまりあとは受け手の感受性、想像力に委ねるということである。
しかし全く説明のないまま展開していくと、
さっぱり意味が分からないし理解できるはずがないことは言うまでもないだろう。
この度合いが、「意味深」か、「ただの説明不足の意味不明」かの分かれ目、
良作と駄作の違いなのかもしれない。