「名」馬列伝(11) シグナスヒーロー
角田寿星

春の天皇賞。6歳になった彼の、最初で最後のG1レース。
出走にあたって、彼の所属厩舎だった田中清隆師の残した談話が今でも忘れられない。
調子がどうの、勝ち負けがどうの、という話ではなかった。
「ようやくここまで来ることができたよ。」という、感慨にも似た言葉であった。
何ということはない言葉だが、彼への愛が充ち溢れているかのようだった。
ホッカイルソー、シンコウウィンディ、グルメフロンティア、そして彼。
いずれも同時期に活躍した、田中師の育てた馬たちである。
活躍の場は少しづつ違ったが、共通してるのは、とても良血とはいえない血統で、
大切に使われながら、高齢になっても「あっ」といわせる走りを見せたところだろう。

話は戻して、春の天皇賞。追い込み一辺倒だった彼が珍しく先行している。
このレースの有力馬であった、シルクジャスティス、メジロブライト。
彼らが切れる脚を持ってるだけに、いつもの後方一気では届かない、と判断したのか。
勝負師の加藤和宏騎手が勝ちに行く競馬をしている、と筆者は感じた。
6着。
末は失わなかったが、伸びもしなかった。
それでも勝ち馬とは0秒6差、4着シルクジャスティスとはわずか1馬身差。
健闘の部類には入るが、年齢を考えると、これが彼の最後の大舞台になるのだろうなと思われた。
それでも、その後も黙々と走りつづけた。

重賞は勝てなかったが、2着はいくつもある。実に5回。
ステイヤーズS。果敢な追い込みを見せるも、サージュウェルズにクビ差届かず。
大種牡馬サドラーズウェルズ産駒の、日本での初重賞勝ちであり、新人だった和田竜二騎手の初重賞勝ちでもあった。
ローゼンカバリーにアタマ差まで迫ったAJC杯。
脚色がまったく違っていただけにほんとに惜しかったが、きっちり差していなかった。
障害帰りのテンジンショウグンに激走を許した日経賞。
最後方からの上がり最速の追い込みも、届かず。超万馬券となった。
7歳にしてはじめての単勝1番人気で臨んだ、七夕賞。
サンデーセイラにまんまと逃げきられる。個性派ジョッキー菅谷正巳の唯一の重賞勝ち。
彼はやはり最後方から猛然と追い込むも、ハナ差届かなかった。
こうしてみると、印象的な負けがいくつもある馬だった。

4歳秋にオープン入りし、8歳の春まで、おもに中長距離の重賞を走りつづけた。
道営に転厩したが、ダートが合わなかったのか、復活はかなわなかった。

と、ここまで彼のことを調べてきて、面白いものを見つけた。
彼のぬいぐるみが発売されていたのだ。
黒鹿毛のデフォルメされた馬体に、「サンシャインS」のタスキが掛っている。
彼の4歳秋、最後の勝利となった、なんと準オープン戦である。
いや、愛された馬だったんだな、と苦笑まじりに懐かしく思った。


シグナスヒーロー 1992.3.24生  現在消息不明
         62戦4勝(中央48戦4勝、地方14戦0勝)
         AJC杯2着、日経賞2着(以上G2)、
         ステイヤーズS2着、エプソムC2着、七夕賞2着(以上G3)


散文(批評随筆小説等) 「名」馬列伝(11) シグナスヒーロー Copyright 角田寿星 2009-10-17 23:08:11
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