「わたし」の日記
かいぶつ

天井の電球をひねるために相応しい
高さにまで積まれた
人一人の半生の記録集から
無雑作に選んだ一冊を
うすい指腹で繰ってゆく
健康な子どもに絵本を読み聞かす
古めかしい速度で


いつもあなたがあなたを記すとき
「わたし」という響きと手触りに
この上ない恥じらいの仕草を見せる
こうして読み返す度、帳面の上で「わたし」は
やわい体を硬直させ頬を紅潮させる
半世紀も買い手のつかなかった
古物屋のひじ掛け椅子が人の重みに耐えかね
しめじめと軋むように


記憶と言うものは毛先の痛みと同じで
束ねられ彩色され熱されながら
時を経るごとにあなたの体を離れてゆく
そして感覚もなく切られてしまえばそれまでで


そんなことを考える内に
ノートに綴られた文字群が
まるで黒髪に宿る記憶の死骸に見えてきて
産み落とされる感覚を捕まえては
脆く機敏な羽虫の抵抗を手の中でもてあそぶ
それがあなたにとって日記に対する
意義ある新しい行為だった


日付だけは異様に情緒的で
空気や色彩、匂いまでもを横溢させている
それは季節を物語るための営みだが
それが只今、窓外でにわかに鼓を打つ
美しい身ごなしの持ち主だとは到底思えない


だから、と言うわけでもなく
あなたは容易く日記を捨てた
書きかけも含め半分は火に投げ入れた
ことのほか盛んに燃えた
開花し枯渇してゆく大輪の花の姿を
微速度カメラで撮影し
再生した映像に良く似ていた


灰をほじくれば
嬰児一人分の骨ぐらいなら出てきても
可笑しくはない気がした




自由詩 「わたし」の日記 Copyright かいぶつ 2009-10-04 01:15:08
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