アラスカ5〜大自然の息吹〜
鈴木もとこ

「ピピピピ・・・」目覚ましの乾いた電子音が響いた。AM4:30。
白夜とはいえ外はまだ暗く夜の気配に包まれていた。ベッドからのそのそと起き出し、
冷たい水で顔を洗い無理やり目を覚ます。
 デナリ国立公園2目。今日はAM5:30出発のネーチャーバスツアーに参加だ。
ここデナリ国立公園では、自然環境を守るため交通機関が規制されており、一般者は
シャトルバスかツアーバスを利用するしかない。主に公園中心部カンティシュナに数
軒あるワンダーレイクを過ぎたあたりの小さなロッジまで片道6時間かけて行く便と、
半分だけで折り返すネーチャーツアーがある。
 キャンパーはシャトルバスで自分の気に入った所まで行き、荷物を背負って自分の
足で歩きながら本当のウイルダネスを味わうのだ。デナリでのキャンプは魅力的だが、
野生動物の生息場所に足を踏み入れるということは、襲われて食べられても文句は言
えないということなので、1人旅の自分にはキャンプツアーでもない限り出来ない事
だった。せめてネーチャーツアーでデナリの大自然を感じようと申し込んだのだ。
 この日の為に買ったモンベルのリュックに貴重品を入れる。タオルとパスポートと
・・・「あれ?」日本から持ってきたカメラが無い。持ってきた旅行用バッグの中身を
全部出してみる。やっぱり無い。落としたか。急に呼吸が速くなる・・・まだ寝ぼけて
ハッキリしない頭でよく考えてみると、最後に使ったのは昨日のブルーベリーを撮っ
たときだと思い出した。きっとガイドの車の中だ!すぐに昨日降りた駐車場へ走った。
旅行会社の黒いバンの窓から覗いてみると、後部座席にカメラが。あった!良かった。
・・・でもどうやって取る?
早朝5時。とりあえずアンカレジの旅行会社に電話してみるが誰も出ない。ネーチャー
ツアーは国立公園主催だし。目の前にありながら取れないなんて・・・どうぶつ奇想天外
の実験みたい。悲しい気分になりながらツアーの集合場所へトボトボと向かった。
 バスにはもう大部分の乗客が座っていて出発を待っていた。日本人のカップルと私の
他は全員アメリカ人。手にはそれぞれ一眼レフやコンパクトカメラを持っている。
「こうなったらこの目でしっかり野生動物を見届けようじゃないの」と妙に鼻息も荒く
心に決めるのであった。
 バスは未舗装の道を白い土煙を上げながら走り出した。国立公園入口の看板を過ぎ少し
走ったところで急に速度が遅くなる。運転手が車内放送で何か言うと、乗客は一斉に声を
ひそめてバスの左窓に寄っていった。そこには、カリブーのオスが立派なツノを振りかざ
して立っていた。初めて見る野生のカリブーは空に向かって鼻先を上げ、丘の上で朝日の
中たたずむそのシルエットが瞑想しているようにも思えた。
乗客はそれぞれ写真を撮り感嘆の声を上げている。私は心のシャッターを押した。カシャ。
 しばらく行くとまたバスはゆっくりになり、今度は止まった。大きな野生のグリズリー
がのんびりバスのすぐ横を歩いている。その大きさと筋肉の力強さにみとれるほどだ。
バスはしばらく走っては止まるを繰り返し、野生動物の日常を見せてくれる。クマが茂み
を歩いていたり、丸くて小さなライチョウがメス1羽にオス2羽で夏の恋を展開していた
り、カリブーの母親と子供がタイガの森に隠れながら草を食べていたりした。
熊が悠々と歩くほんの数メートル先に、2人のキャンパーが荷物を背負って歩いている。
どうやらお互いに避けあっているのだろう。どちらも急ぐような緊張感はなかった。四国
ほどの大きさもあるこの大自然の中で、彼らはどこまでいくのだろうか。
 バスはゴトゴトと大きくうねった道を行く。目の前に赤茶けた大地が広がる。遠くに青
白く続く山々と秋に彩られた極北のツンドラ。開けた谷の真ん中に川が自然そのままに、
いく筋にもなって大地をくねりながら静かに流れている。ムースが遠くで水を飲んでいた。
ここにある全てのものが美しく野生の輝きに満ちている。それは太古の昔から変わらず
そのままあり続けている姿なのだ。でも季節は廻り、鮭は毎年忘れずに遡上してそれが
熊の生きる糧になり、それぞれの生が綿々と繰り返されていても、川が少しずつ流れを
かえてゆくように、この大地でさえも全く同じ瞬間は訪れない。時間の流れは常に平等だ。
かわらずに変わりつづけるもの。その当たり前のことの不思議さに静かに打たれていた。

 バスは広く開けた展望台で止まった。このツアー最終地点のストニーヒル。
降りて伸びをする。目の前には大きくマッキンレー山がそびえていた。標高が高く自ら
雲を作るせいで、夏には姿がほとんど見えないとガイドブックに書いてあったが、今日
はスッキリ晴れ渡り雲ひとつない。その雄大な姿は頂上まで白く神々しいほどだ。イン
ディアンの言葉どおり「偉大なるもの」だ。
バス運転主から渡された温かいココアを飲みながら、まだ寒い早朝の真新しい風景に見入
っていた。
あと3時間ほど行けば、星野道夫が撮った、みごとな紅葉の中湖にたたずむムースとマッ
キンリー山の風景がそこにある。湖の近くには道夫の友達が経営しているロッジ、キャン
プ・デナリ。在りし日の道夫のことを少しだけ聞いてみたかったが、残念ながらこのバス
はここで折り返し。
気持ちを残しながらも、バスはネーチャーツアーの後半を走り出した。


散文(批評随筆小説等) アラスカ5〜大自然の息吹〜 Copyright 鈴木もとこ 2004-09-13 22:11:01
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